お義父さんと呼ばせて 花澤美蘭役の蓮佛美沙子が見せる二つの愛の形

お義父さんと呼ばせて

お義父さんと呼ばせて」が大爆笑の連続で楽しませてくれる毎週火曜日。ヒロイン花澤美蘭役の蓮佛美沙子が「女性の愛」を二つの形で見せてくれています。そして、他にも同じような女性の男性に対する二つの愛が随所で表現されています。

お義父さんと呼ばせて

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花澤美蘭に見る女性が持つ二つの愛の形

母性本能的愛情が大の大人を子供のように思える場合

これが、本ドラマのメインテーマとも言える部分であり、蓮佛美沙子が個人的にも認める、年の差婚もあり得る所以なのではないでしょうか。

男という生き物、管理人も含めてですが、幾つになっても「子供心」が抜けないものであります。ましてや、50年も独身でいて、大道寺保のように仕事一筋、超真面目に生きてきた人間は、面倒見の良い女性からは「カワイイ」と映る場合が多々あるでしょう。

つまり、どこかに「この人の面倒を見てあげたいな」という感情が芽生えるのでしょうね。

普通なら、こんな歳でこんなに初心な人はいないと、敬遠される場合もあるでしょうが、そのような女性は次の項目に出てくるような愛情を求めているのでしょう。

遠藤憲一 蓮佛美沙子

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蓮佛美沙子
の演じる花澤美蘭は、蓮佛の役作りとも思えないほど型にはまっていますが、それは蓮佛美沙子自身がそのような思いの女性なんだと思いますよ。管理人も大道寺保と気持ちは一緒ですね。(笑)

そして、「枯れ専」はなにも花澤美蘭だけの特許ではありませんよ。紀一郎が勤務する帝洋物産の女子社員22歳の中森愛(中村ゆりか)だって、密かに上司の花澤紀一郎に憧れているのですよ。

でも、中森愛の場合は、同じ「枯れ専」でも、美蘭が保に魅かれる「子供のような年上男性」ではなく、理由は次の項目となるでしょうね。

できる恰好の良い年上の男性に父親の幻影を求める愛の形

お義父さんと呼ばせて」の劇中でも、秘書役の中村アンが言う「枯れ専」という言葉が出てきます。彼女の説明では「枯れた男専門」ということですが、これは言葉を変えて言えば「年上で父親のような」と言い換えることができるのです。

たまたま年取っているというだけで、敢えて「枯れ」という言葉を使っていますが、女性が自分の父親を理想とする場合、「しっかりして」「頼り甲斐のある」「安心して」付き合える男性ということになるでしょう。

中森愛役 中村ゆりか

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こちらのタイプの女性からすれば、前述した母性愛で、子供のような男性を好きになるという気持ちは分からないでしょう。

どうでしょう。中森愛が花澤紀一郎に憧れる気持ちが分かるのではないでしょうか。

 

年齢と共に変わる価値感と変わらない価値観

女性は千変自在ですが、男は苦手なものです。そして、型にはめて安心しているのは、意外と男性なのかも知れませんね。

きちんと家庭を守って子育てを任せられる妻。そして、それなりにしっかり勉強して頑張る子供。その家庭をある程度守れる自信があると、浮気の少しでもしてみようか、というのが男性の心理なんでしょうね。

この型ができてしまうと、それ以外はもう無関心。あとは、会社なり仕事なりが生活の中心となってしまうのが男性の性なんですね。

ところが、女性は、そのような男性に対し、いつも受け身ですから、内心は忸怩たる思いがあって、「私の人生ってこれでいいの?」という自問自答が生活に付きまとうのではないでしょうか?或は、そのような暮らしの型にはまっている中で、「或る日突然」気がついてしまった、なんて感情もあるのではないでしょうか。

花澤静香役 和久井映美

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ドラマでは和久井映見がキャストの花澤静香役で紀一郎の妻を演じていますが、化粧台の引出しに仕舞ってある離婚届は何を物語っているかというと、「或る日突然、気が付いてしまった」という心境を現していると管理人は睨んでいます。

昔の家族なら、途中であれやこれや考えることはしませんでした。もう、型にはまったら最後、そのまま逝くまで、ずっと変化は無いものだったからです。

しかし、今や時代は変わり、人生の生き方に対し、変化もするし、選択の自由も不思議ではなく、社会にも受け入れられるようになりました。そうすると、人生の途中で価値観が変わる場合もでてきます。

 

自分の価値観は自分で決め自分で守る生き方

西洋文化と比べると、まだまだ日本人の価値観は、とかく他人の意見に左右される人が多いようですね。他局の話になりますが、「家族ノカタチ」などテーマだけは素敵ですが、内容になると、この価値観が他人の干渉で崩れたり、自信が持てなくなったりします。

他人のスペースにあれほど平気で土足で上がるような脚本にイライラするのは、管理人だけではないと知ったのでほっとしました。

それぞれの個人が自分の価値観の中で生きていく訳ですから、「こういうのがある」「ああいうのがある」とそれぞれの価値観を認めて、その上で各個人が自分自身の価値観と比べるというのは、あっても然りだと思いますが、あのドラマほど無制限に他人のスペースに入り込む世界は、古き日本なら兎も角、すでにどこにも見られない世界でしょう。

仮に独身の生き方を選んだ人が、人生の後半になって後悔したとしましょう。しかし、それはそれで良いのではないでしょうか。何故なら、その人が選んだ道だからです。

少なくとも、その独身の間は、自由な世界で自由に思い切り人生を楽しんでいた訳ですから。後半、老後を迎えて後悔したって、仮に結婚していたとしても老後に幸せでいられる保証など、最初から何処にも無いのですから。

土下座の大道寺

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この、「お義父さんと呼ばせて」の素晴らしいところは、登場人物がそれぞれの人生をそれぞれ生きて、その人間関係と会話、シチュエーションがもたらす滑稽さが、生き生きと描かれているところです。

帝洋物産が買収した会社との懇親会、和式の宴会で大道寺保が運悪く自分の彼女の親父の前で「かっぽれ」踊りを請願されてしまった時の困惑した表情など、遠藤憲一の名演技が光りました。

そして、その一方の美蘭の親父役の渡部篤郎の、不思議そうな思惑顔がまた大笑いさせてくれました。

第3話では、美蘭を幸せにする自信を喪失する大道寺保に、「幸せにしてって頼んでいない。自分が幸せになるんでしょう」という花澤美蘭の素晴らしいセリフが光る場面が登場します。

他人の価値観に左右されない、自分自身の価値観で生きる大切さを、もう一度考えてみるチャンスとなるのではないでしょうか。そのような生き方ができれば、最後は「人生悔い無し」と言い切ることができるのではないでしょうか。

 

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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