かげろう絵図 「大奥」のこれだけは知っておきたい3人の登場人物

かげろう絵図

米倉涼子主演の「かげろう絵図」の放送が近づいてきました。「大奥」を舞台に、松本清張が描くサスペンスドラマです。米倉涼子演じる「縫」に注目が集まりますが、「これだけは知っておきたい」、徳川家斉、お美代の方、脇坂安董の3人の登場人物を取り上げます。

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「かげろう絵図」知っておきたい人物1 大奥の主・徳川家斉

徳川幕府も後期、11代将軍に就任した徳川家斉は、御三卿の一つ、一橋家の出自で、一橋家第二代当主、徳川治済の長男でした。

御三卿というのは、徳川家から分家した家柄で、他に田安徳川家と清水徳川家とあります。

御三卿は初めからあった訳ではなく、8代将軍、徳川吉宗の時代、吉宗の次男宗武、三男の宗尹を立てて分家したのが始まりです。8代将軍吉宗と言えば、「享保の改革」で、幕府の財政を立て直したことで名声があります。

そして、この分家というアイデアは、徳川宗家、或いは他の御三家から将軍の世継ぎがいない場合、後継者を提供する家柄として、分家を設立したものでありました。そして、御三家に対しても世継ぎのいない場合は、その後継者を提供するという、いわゆる「世継ぎロス対策」を担うために作られたのです。

しかし、実は、そのことで、「内輪揉め」の大きな原因ともなりました。つまり、権力闘争を生み出す遠因となったわけです。

さて、その徳川家斉は8代将軍吉宗の四男、宗尹が興した一橋家の第2代当主治済の長男で、第10代将軍、徳川家治の世継ぎであった家基が急に亡くなったため、実父の治済と田沼意次の計らいで、家治の養子になったのです。

家治には、弟がいましたが、病弱で子供もいませんでしたから、まったく徳川吉宗の「御三卿」の策は見事に成功したとも言えるでしょう。

さらに、家斉が養子になって5年後に、10代将軍、父の家治が亡くなると、15歳で第11代将軍に就任するのです。

すでに幕府で権力を握っていた田沼意次でしたが、家斉の将軍就任と共に、罷免され失脚します。これは、家斉の一存ではなく、「賄賂政治」と非難された田沼意次を処罰した形とすることで、幕府の安定を画策した松平定信老中の意向を反映したものでした。

徳川将軍家の安定と継続という問題から、御三家のみならず、御三卿を作ったり、将軍が生んだ子供を嫁がせて縁組が増えてくると同時に、それが幕府の財政の圧迫原因ともなりました。

徳川家斉は、16歳で島津家の近衛寔子と婚姻を結んでいますが、実はこの話はもっと複雑なのです。何故ならば、家斉は幼少時代に、この近衛寔子が、まだ篤姫と称されていた頃に家斉と婚約されられていたのです。

その婚約を機に名を茂姫と改めて江戸の一橋邸に移り住み、家斉がまだ豊千代という子供時代に一緒に育てられていたのです。そして、10代将軍の家治が死去し、家斉が将軍となるのですが、この婚約が大騒動の元になってしまうのです。

理由は寔子の出自にありました。3歳で婚約した時は、まさか相手の豊千代が将軍になるとは、誰も思っていなかった訳です。

ところが、家斉が将軍に就任することになったため、寔子の出自が問題となってしまったのです。将軍家の正室は、五摂家か宮家の生まれという仕来りがあり、大名の出自では十分でなく、寔子の出自は当然認められるものではなかったのです。

しかし、徳川吉宗の養女であった浄岸院の遺言にある婚姻だと、家斉の実父である薩摩藩主、島津重豪の主張が通り、茂姫と家斉の婚姻は認められたのです。

その時に、慣例に従うために、茂姫は島津家と姻戚関係にある近衛家の養女となり、名前を近衛寔子として、「条件」をクリアしたのです。

寔子は家斉との間に敦之助という男児を産むのですが、すでに世継ぎが決まっていたので、敦之助は清水徳川家に養子に出され、そして、僅か3歳で亡くなってしまいます。寔子は、その後、懐妊しますが、こちらは流産で、それ以後は子供には恵まれませんでした。

しかし、この縁組が意外にも後世に影響していたことはあまり知られていないようです。何故なら、この薩摩藩島津家というのは、徳川幕府から見ると、外様大名の出なのです。その外様出自の薩摩藩主の影響が寔子を御台所まで押し上げ、薩摩藩の幕府における地位を押し上げることになったからです。

15歳で将軍に就任した徳川家斉は、1837年に次男の家慶に職を譲るまで在位50年という最長記録を打ち立てたばかりではなく、その後も「大御所」として、実権を掌握したいたという強者です。そして、69歳の生涯を閉じる家斉は側室44人、産ませた子供は55人とも言われ、その子供たちの縁組などで、幕府の財政が圧迫したことでも有名です。

大所帯となった大奥では、上臈から中臈まで巻き込んだ権力闘争も絶えなかったようです。

かげろう絵図では、そんな徳川家斉のキャストにぴったりのベテラン俳優、津川雅彦が演じることになります。

 

「かげろう絵図」知っておきたい人物2 大奥の女帝・お美代の方

お美代の方と言えば、後の専行院、徳川家斉が34歳の時に大奥に上がった女性で、家斉の家臣、中野清茂(のちに、中野石翁)が養女として家斉に近づけたとされています。

実父は、僧侶の日啓と言われ、一説によると、実父に手を付けられていたともされています。その、日啓から養女として引き取った中野清茂が、世継ぎとなる男児が居なかった将軍に近づけて、子供を産ませようと画策したようです。

しかしながら、お美代は、三人の子供を出産しますが、全員女児で、溶姫、仲姫、末姫の三人止まり。残念ながら、後継ぎを生むことができませんでした。

いよいよ三十路になると、将軍の褥は続けられない仕来りの大奥で、お美代の方は「御用済み」となることを恐れます。そこで、日照りとなる三十路以上の中臈や上臈を、実父の寺や日潤などの「助平坊主」の寺に「御祈祷」と称した、性欲の解放を紹介します。

これが大奥女中に人気となり、大奥内でのお美代の方の権力の源となりました。

かげろう絵図」では、このお美代の方に、中村優子が扮します。「かげろう絵図」では、メインキャストとならないかも知れませんが、中村優子は、以前、ストリッパー役やホステス役のキャストを受けた時、実際にストリップ劇場に出向きステージに上がったり、銀座のクラブで名を伏せてホステスとして働いたりと、ロバート・デ・ニーロ張りの役作りをする女優です。

かげろう絵図で中村優子がどんな演技を見せてくれるのか興味深いですね。

 

「かげろう絵図」知っておきたい人物3 寺社奉行・脇坂安董

脇坂安董と言えば、徳川家斉の家臣で、寺社奉行となった人物です。寺社奉行とは、鎌倉時代から続く、幕府の重職で、勘定奉行、町奉行と共に、三奉行とされ、勘定奉行と町奉行が一般的に旗本(将軍家直属の家来)から選ばれるのに対して、寺社奉行は譜代大名(からの任命と、他の二奉行とは別格とされ、寺社奉行は中でも最上位の位とされました。

譜代大名とは、細かいことを除けば、基本的に関ケ原の戦以前から、徳川氏についていた大名を指します。しかし、かげろう絵図に登場する脇坂家は、元来外様の出自でしたが、幕府に忠誠を誓い、願い出て「譜代」に変更してもらう「願い譜代」という立場で、本来は幕府お要職には就けない立場でした。

しかしながら、明確な答弁と、その男前の顔立ちなどイメージの良さも手伝って、将軍家斉の取り計らいで、重職の寺社奉行を拝任することになったのです。

そして、脇坂安董の名声を押し上げたのが、「谷中延命院」と「三業惑乱」と呼ばれる二件の事件でした。この「谷中延命院」の事件は、かげろう絵図の元になっていると思われる事件です。

人気歌舞伎役者であった初代尾上菊五郎の隠し子とされる美男子僧侶、日潤が住職をしていた谷中延命院に、大奥女中が通うことが民衆にも広がり、安董が隠密(女スパイ)を放ち、十分な証拠を積み上げ、日潤たちをお縄に掛けるという事件です。

脇坂安董を演じるのは、すでにベテランの域に達した個性派俳優の竹中直人です。山本耕史が扮する島田新之助と、米倉涼子演じるお縫が、脇坂安董の意向を酌んで大奥上がりするところなどが見どころの一つとなるでしょう。
ミステリー作家として名を馳せた松本清張の数少ない時代劇かげろう絵図」。華やかな大奥を舞台に展開されるミステリーですが、知っておきたい3人の登場人物をご紹介しました。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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