大奥というと「男子禁制」、つまり「女の園」と言われ、それが故に多くの人々の関心を集めてきました。将軍男一人のところへ側室や女中たちが3000人も居る訳ですから、特別な環境であったことは間違いありません。大奥将軍世継ぎを確実なものとするため、他の男を入れない「女の園」になった訳です。

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大奥は将軍の世継ぎの証明を確実にするために「女の園」となる

すでに見てきたように、徳川三代将軍家光の頃になると、幕府も安定化してきて、政治の最重要な課題はその「安定と維持」となりました。大奥の必要性は、この頃より重要度が増すことになったのです。

徳川家の安泰を託す条件の一つが世継ぎ、つまり男児に将軍職を継がせることでした。ところが、江戸時代、子供がすくすく成長する保証もなく、病などにより子供の時分に亡くなることも多々ありました。その上、将軍が病に侵され急死するケースもありますので、そのような突然死も含めて考えると、男児を産むことの重要性が理解できると思います。

徳川家斉の正室は近衛寔子と言いますが、光浦靖子のキャストが「ど嵌り」なブスの極みのようだったのです。宮家や公家、皇室の縁者となると一族の血が濃くなることもあって、優性遺伝子による美人が生まれにくなったのかも知れませんね。

そんなこともあり、大崎局(浅野ゆう子)が、世継ぎを産ませるという職務から、将軍好みの側室の手配が重要な仕事という側面もあったことは想像に難くありません。

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「子作り」「女の園」「男子禁制」ということから、兎角、庶民の関心は「夜の営み」に偏る傾向がありますが、それほど単純なものではありません。世継ぎの重要性が分かると、なるほど、将軍の「子作り」が「重要な仕事」と捉えられる意味が理解できると思います。

当時はDNA鑑定など無かった時代ですから「男子禁制」としたのは、将軍の子供であるという証明をする、間違いの無い方法であった訳です。他の男が居ない訳ですから、生まれた子供は誰の子供か歴然とした事実であり、間違いがない訳です。そして、当然とも言えますが、その事実を周囲の人間が承知する必要があった訳です。

「男子禁制」にして「女の園」になることで、周囲の側近も、大奥の女性たちも、生まれる子供は間違いなく「将軍の子供」として認識された訳です。

 

御鈴廊下を渡る将軍の大奥入り

江戸城の本丸は、1万坪以上もあり、大奥の広さは6000坪以上もあったのです。その広さは何と野球場が二つにもある広さで、多い時で3000人が大奥に暮らしていたとされます。

大奥」で将軍家斉のキャストを務める成宮寛貴が大奥へ入るシーンでは、大きな鈴の音が鳴らされます。これが有名な「御鈴廊下」と言い、中奥と大奥を結ぶ唯一の出入り口だったのです。

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将軍のプライベートな住居で、中は大きく別けて広敷向、長局向、そして御殿向に区切られておりました。

将軍や側室の居場所はこの一番奥にある御殿向であり、その中には、寝所、つまり将軍のベッドルーム、正室の部屋である御台所居所、その他、大奥女中が待機する詰所などがありました。

そして、また「千鳥の間」や「呉服の間」、或は「御仏間」など、それぞれの用途の部屋もあったのです。

 

大奥女中の数と仕事

さて、少々話は長くなりますが、何故、これほどまでの多くの女性が大奥に住むようになったのか、それを検証してみましょう。

すでに、三代将軍家光の頃には、江戸幕府は安定して、将軍の最大の仕事が「世継ぎ」を産ませることとなっていたので、前述した通りです。

しかし、ここで少し、話が難しくなるのです。将軍の正室となる奥方は、慣例として、宮家、公家、或は皇室から迎える習わしとなっていた当時、その正室は「格式」に煩く、その上、容姿も美人とは言い難い女性も多く、将軍とは必ずしも相性が良くありませんでした。

ですから、御台所という正室の名目は存在しましたが、大奥を離れて中奥に越してしまった例もあるように、正室が大奥を取り仕切っていたとは限りません。大奥の御台所として最初に有名になったのは、家光の乳母であった春日局です。

大崎局役 浅野ゆう子
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そこで登場するのが大奥総取締ということになりますが、これは正式名称ではなかったようです。しかし、上臈御年寄の中で、力を振う者が出てきたのは史実としてあるようです。

中臈以上の御目見得以上になると、将軍との面通しを許され、将軍の気に召されると添い寝を命令されることになります。

前述した通り、世継ぎを作ることが「将軍の仕事」ですから、夜勤となる訳ですが、必ず二人ほどの「見守り役」が寝所の脇にあった訳です。坊主の姿をした中臈も一緒に立ち会いました。

これは、将軍の褥となる女性たちが、将軍にいろいろな要求をしないように防御するために置かれた訳です。ですから、大奥第2部で、蓮佛美沙子が演じる歌が、どのような形で、将軍家斉(成宮寛貴)に「おねだり」をするのか、注目に値します。

さて、この徳川家斉という将軍は、特に「元気で長生き」した将軍で、側室44人、産ませた子供が55人とも言われる、歴代ナンバー1の将軍です。

側室は30歳になると「お褥下がり」と呼ばれる決まりがあり、早く言うと「定年」です。これを機に将軍との添い寝はできなくなります。理由は、30歳過ぎは高齢出産とされており、元気な世継ぎを産むにはそぐわないと判断されたからです。

それぞれの側室に、身の回りの世話をする「お付き」が数人から十数人付くと考えれば、なるほど2000人以上の奥女中が居ても、何ら不思議ではないでしょう。

大奥 祈祷
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大奥内の内政を取り仕切ったのが、御台所を頂点とする上臈や中臈たちです。上臈と言えば、表の政治でいうところの老中に匹敵すると言います。

上臈ともなると年収は現在の金額にして2000万円とも言われ、その経費だけでも馬鹿になりません。江戸時代の総国家予算、160億円のおよそ四分の一、40億円が大奥に充てられていたそうで、財政赤字の危機に陥った時でも、その予算削減には応じなかったほどの権力がありました。(笑)

男子禁制という断りがあるため、男子のする仕事も女性たちで割り振り、全てを自分たちでやっていた訳です。そして、仕事の中心は「将軍世継ぎを産む」ことですから、それから外れた女性たちはろくにやる事も無い訳です。

そこで、ドラマになるように女性たちの「いじめ」「からかい」「同性による愛」、あるいは「隠れた密会」や「掟破り」の歌舞伎役者の変装侵入などのストーリーが出来上がる訳です。
少々長くなりましたが、このような背景がある「大奥」は、架空の話が生まれ易い土壌が出来上がっていたことをご理解いただけたのではないでしょうか。

大奥第2話は、沢尻エリカの演じる梅と蓮佛美沙子の演じる歌の架空の話ですが、大奥における姉妹の熾烈な「将軍の寵愛」を奪い合う姿は、実際の話として見ても何ら違和感のないものと映るでしょう。

 

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