ドラマ「大奥」が11年ぶりの復活となる中、成宮寛貴将軍家斉を演じます。江戸城本丸御殿の6割を占めたとされる大奥では、将軍と言えども幾多のルールがあり、女性たちに翻弄されたのです。成宮寛貴が沢尻エリカや蓮佛美沙子、浅野ゆう子などの正室や側室に振り回される場面は見どころの一つですね。

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「大奥」で将軍家斉を演じる成宮寛貴の経歴

昭和57年9月14日生まれの成宮寛貴は現在33歳と、大奥将軍を演じるにはピッタリな年ごろと言えるでしょう。成宮と言えば、ドラマ「相棒」であまりにも有名なので、ご存じの方は多いでしょう。

成宮寛貴の生い立ちは決して恵まれたものとは言えず、(両親が離婚したのか)母子家庭で育ちました。しかし、残念ながら成宮が中学2年生の時にその母が亡くなり、進学を諦めた成宮は引越しなどのアルバイトをしながら、自分一人でも大変なのに、6歳下の弟の面倒も見ていたのです。成宮は弟さんにお弁当を毎日作って学校へ行かせていたというのですから、大変な苦労人です。

芸能界に入ったのも、弟さん思いだった成宮さんにオーディションのきっかけを与えてくれた神様のご加護だったのではないでしょうか。高校に行っていない成宮さんは社会に出て、学歴の大事さを思い知らされ、弟さんを大学にまで進学させます。

しかし、弟さんが受験で合格した大学では、将来に禍根を残すとの思いから、一浪しても良いから「東大」を目指すよう進路指導して、見事に東京理科大学へ入学したそうです。弟思いのしっかりしたお兄さんをもって弟さんは幸せですね。

成宮寛貴 将軍家斉
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平成12年に舞台デビューして以来、映画、テレビの俳優として着実に実績を積み上げてきました。「高校教師」や「あずみ」の出演の後、平成22年には27歳の成宮が17歳の高校2年生を演じた「ヤンキー君とメガネちゃん」で連ドラの主演に抜擢され好評を博しました。

そして、平成24年から「相棒11」からは三代目相棒として甲斐享役が大当たりとなったのは記憶に新しいところです。

今回は精豪で知られた将軍徳川家斉を成宮寛貴がどのように演じるのか、女性キャストが大勢出演する中、大奥で「白一点」の成宮将軍が引き立て役に終わらずに存在感を示すことができるのか注目されます。

 

徳川家斉とはどんな将軍?

それでは、この家斉という将軍はいったいどんな将軍だったのか見ていきましょう。

a 徳川家斉の将軍即位

家斉は御三家の一つ、一橋家家第二代徳川治済の長男として生まれたのですが、10代将軍家治の世継ぎであった家基が急死したため、将軍家治の養子に迎えられ江戸城に入場し、家斉と名を改めました。そして、1786年、天明6年に家治が亡くなったので、15歳で第11代将軍に就任したわけです。

b 将軍徳川家斉の正室は誰?

当時の将軍は正室、つまり奥方には宮家や公家から嫁さんをもらう仕来たりがあり、家斉も例外ではなく、近衛家から寔子を嫁にするのですが、事は些かそのような単純なものではありませんでした。

寔子の生まれは鹿児島城で、父は薩摩藩主島津重豪、母は重豪の側室であった市田氏でした。寔子の幼名は篤姫と呼ばれ、僅か3歳で一橋家の豊千代と婚約されられるのです。そして、それを機に江戸にある薩摩藩の上屋敷に超し、それから江戸城内にある一橋家の邸宅へと移るのですが、それに伴い篤姫から茂姫に名前を改名しています。

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時の将軍徳川家治の世継ぎだった家基が急死したため、豊千代が次の将軍と決定したのですが、その時に、この婚約が問題視されました。それまでの慣例では、前述した通り、将軍の妃は宮家や公家出身という身分だったので、島津藩の大名の娘では不味かったからです。

そこで、家斉が将軍に就任するほんの前に島津家と縁故関係にあった近衛家の経熙の養女に養子縁組して、名前も茂姫から寧姫に変えて、それから嫁ぐことになったのです。現代では考えられないような、煩雑な仕来たりだったと言えるでしょう。そうそう、まだあったのです。

近衛家の養子となる際に寧姫だった名前は家斉と一緒になる時に、もう一度、今度は近衛寔子と改名して、近衛家の娘として結婚したのでした。(もう少しで忘れるところでした。笑)

しかし、この結婚は家斉と共に幕府にも薩摩藩にも大きな財政負担となるカップルの誕生だったのですが、ここではそこまで踏み込まないでおきましょう。

c 将軍徳川家斉の側室は何人?

徳川家斉は、つまり許嫁であった幼馴染と結婚したとも言えるのですが、正室の寔子とは、何人の子供を作ったのか定かではありません。特筆するのは、寔子が敦之助という男子を出産するのですが、正室が男子を出産するのは、二代将軍の徳川秀忠とその正室お江与の方以来だったことです。残念ながら、この敦之助は3歳で亡くなってしまいました。

 

「おっとせい将軍」とも揶揄された徳川家斉は将軍在位50年と、歴代1位の在位を誇りましたが、その年数だけでなく、側室の数でも(家康を除き)、他を寄せ付けない圧倒的数字を残しています。(笑)

諸説ありますが、一説によると側室の数、44人、そして、産ませた子供の数は55人とも言われ、寔子が御台所となってから、側室が産んだ赤ん坊は、全員「御台所御養」として、寔子の子供とされ、その数に物を言わせて、御台所の権威は揺るがないものとなりました。

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しかし、「子だくさん」ということで、家斉の「性欲」がとり正されますが、これは現代のメディアが面白可笑しく取り上げた側面が無いとも言えません。

と、いうのも、徳川家斉は、記録に残っているだけでも風邪による病気があるくらいで、非常に健康だったというのです。精力増強に効くということで、オットセイのナニを粉末にした、現代でいうバイアグラのような物をよく飲んでいたそうで、これが本当の「暴れん坊将軍」だったことは確かなようです。その上、大の生姜好きだったということもあり、(生姜には血行をよくして、免疫も高まり、精力増強にも良い効果があります)、兎に角、「元気で女好き」だったようです。

d 大奥で将軍家斉の側室となるお美代とは?

因みに、今回のドラマ「大奥」にも登場するお美代ですが、17歳で大奥に入り、すぐに家斉の寵愛を受けるのですが、当時すでに家斉には20人以上もの側室が居たようです。

お美代の父は内藤就相とも言われますが、将軍の側近であった中野清茂が養女として引き取り、将軍に差し出したようですが、別の説によると、祈祷専門の坊主であった日啓の娘だったという説もあります。

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いずれにしても、こうして将軍の寵愛を受けたお美代は三人の娘をもうけます。因みに最初の娘は溶姫と言い、後に加賀百万石前田家に嫁ぐことになり、その輿入れを祝して建てられた門が今でも残っています。そうです、東京大学の代名詞とも言える「赤門」です。当時は多くの赤門が建てられたそうですが、現存する赤門は、この東大の赤門一つになってしまったそうです。

 

成宮寛貴と豪華女優陣が見どころの「大奥」

今回の「大奥」は変則で、二部制となっており、「最凶の女」と「悲劇の姉妹」という二段重ねになっています。そして、最初の放送になる22日が将軍家斉の壮年期を、そして翌週29日の放送が家斉の青年期を描いていますので、順番が逆になっているのも面白いですね。何かスター・ウォーズを意識したのでしょうかね?

まゆゆこと渡辺麻友と沢尻エリカ様のラブシーンや、蓮佛美沙子のアクロバットな演技、歳を重ねてもまだまだ色気十分な浅野ゆう子たちを相手に成宮寛貴がどのような演技を見せるのか、非常に楽しみな「大奥」です。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。