夏目漱石の妻キャスト 竹中直人が塩原昌之助役で漱石の養父に

夏目漱石の妻

夏目漱石の妻で、竹中直人塩原昌之助キャストで、夏目漱石の養父を演じています。養父となった塩原昌之助は、夏目漱石にとってどのような人物であり、影響をもったのでしょうか。過去の事実と劇中の会話などから夏目漱石と養父塩原昌之助の関係を検証してみたいと思います。

 

夏目漱石の妻キャスト 夏目漱石の生後と生い立ち

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夏目漱石の妻は、鏡子夫人(尾野真千子)の供述を元に、長女筆子の亭主、松岡譲による記述が原案となった「漱石の思い出」をドラマ化したものですが、中根鏡子が夏目漱石(長谷川博己)に嫁ぐはるか前から、いうならば漱石は生後直後から波乱万丈の生涯が待っていたのです。

慶応3年、時が明治に代わる直前に生まれた夏目漱石は、江戸末期の牛込馬場下の名士、夏目小兵衛直克と千枝の間に生まれました。漱石は五男でしたが、父親が50歳の時の子で、歳とってからの出生は両親にとって恥だったようです。

 

金之助と名付けられた漱石は、生後まもなく四谷の古道具屋に里子に出されます。明治維新という時代の変わり目にあり、生家の夏目家は没落期にあったとされています。乳の出る女性がいる古道具屋にもらわれていったというのが真相のようです。

しかし、古道具屋の品物に紛れて寝ていたのを見た姉が可哀そうに思い、漱石を実家に連れて帰ったところ、「何で連れて帰ったのか」と父の直克が激怒したそうです。

 

夏目漱石の妻キャスト 漱石の養父となる塩原昌之助とは?

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夏目漱石が実家に連れ戻された1年後、1歳になった漱石は、塩原昌之助に養子に出されます。塩原昌之助は、夏目直克の処で書生のような立場で住んでいて、父の夏目直克が見所のある青年と思い、奉公人だった「やす」という女性を娶らせ、漱石をこの二人の養子に出したのです。

しかし、夏目直克の見込み違いで塩原昌之助は、別の女性にも手を出した(出したのは手だけではなかったようで)ことから、夫婦仲が悪くなり、漱石が7歳の時、養母やすと一緒に生家の夏目家に戻っています。

 

この頃の漱石は実親を「祖父母」と思い込んでいたようですが、無理もありませんね。結局、漱石が9歳の時、養父母の昌之助とやすは離婚するに至り、漱石は生家へ戻ることになりました。

しかし、漱石が塩原の養子から夏目家に復籍したのは、漱石が21歳の時でした。これには、漱石の実父直克と養父の塩原昌之助の確執があったようです。

 

夏目漱石の妻キャスト 夏目漱石と養父塩原昌之助の関係

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夏目漱石は実父の夏目直克の死去の際、妻の鏡子との会話(第1話)にもあるように、「感傷はない」というように、自分を生みながら粗末にした直克に対して、怨念に近いものを持っていたようです。むしろ、そのネガティブな感情を抑え付けながら育ったようなところがあります。

その反面、養父となった塩原昌之助には、愛情を感じていたかは別として、育ての親として感謝していたような節があります。

 

朝日新聞社に入社後、お金を強請りに来る塩原昌之助の存在が、確認されています。漱石は、自分と養父母の関係を土台に「道草」を執筆したとされています。

道草」は、朝日新聞に掲載された長編小説ですが、漱石の「吾輩は猫である」の執筆時の生活を描いたとされています。作中に登場する島田という人物が養父の塩原昌之助の姿を描写したものとされています。

夏目漱石と養父塩原昌之助の関係ですが、漱石が直接、昌之助の関して言及したものではありませんが、「道草」の中にヒントがあるのかも知れません。

本音がどこにあるかは分かりませんが、少なくとも自分を捨てた父親と、預かってくれ育ててくれた昌之助に対しての感情は、同じであるはずがないでしょう。お金を無心する昌之助に対しての漱石の心情は、辛い立場でしょうが、できることなら何でもしよう、そんな気持ちだったのではないでしょうか。

 

夏目漱石の妻キャスト 塩原昌之助のキャストを演じる竹中直人とは?

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夏目漱石の妻で、漱石の養父、塩原昌之助キャストを演じる竹中直人を知らない人はいないでしょうね。

現在、60歳の竹中直人は、横浜出身の芸人で、肩書も「俳優」に留まらず、「映画監督」、「歌手」、「大学の客員教授」と数多いタレントです。美人女優で可愛い木之内みどりが奥さんというのも有名です、

竹中直人は横浜の地元小学校から中学、高校を卒業し、多摩美術大学の美術学部グラフィックデザイン学科を卒業しました。

大学時代は、8ミリ映画製作に精力的で、すでに監督から出演までこなしていました。そして、在学中に「ぎんざNOW!」(TBS)の「素人コメディアン道場」に出演して、18代チャンピョンに輝き芸能界入りしました。

竹中直人は1978年から、1990年まで、劇団青年座に籍を置きます。その間、数多くのモノマネ芸を披露し、人気者となりました。

 

個性的な人物キャラと芸で、脇役でも奇妙な役回りが多い竹中直人を一躍「役者」に押し上げたのが、NHK大河ドラマ「秀吉」(1996年)で抜擢された豊臣秀吉の主演キャストでした。平均視聴率も30%を超えるなど、人気作品となった「秀吉」は、後に竹中直人の「はまり役」とされ、「敵は本能寺にあり」(2007年)や、「軍師官兵衛」(2014年)でも豊臣秀吉役に抜擢されています。

竹中直人は、米国の映画監督オリバー・ストーンからのオファーもあったそうですが、米国滞在が長期に及ぶのを嫌い、断ったようですが、それだけ家庭を大事にする人物でもあります。

夏目漱石の妻でも、少々、得体の怪しい塩原昌之助を演じる竹中直人の役作りが楽しみなキャストとなりました。

 

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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