処女作「吾輩は猫である」が大当たりした夏目漱石を「文豪」にまで押し上げたのは、ある意味、池辺三山といえるかも知れません。言ってみれば「生みの親」とも言える池辺三山とはどういう人物だったのでしょうか?「夏目漱石の妻」では、赤星昇一郎が池辺三山のキャストに抜擢されました。
文豪夏目漱石が生まれるまでの経緯とは?
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明治35年、英国留学から帰国した夏目漱石は、自身の英語力にも教師の仕事にも自信を失っていました。精神衰弱を患っており、翌年36年に一高と帝大の講師となった漱石でしたが、教え子の入水自殺などもあり、妻鏡子とも別居(二か月)せざるを得ない状態となってしまいました。
教師の仕事は自分に合わないと言いながらも子だくさんの漱石は仕事を続けなければならず、精神的病は治るどころか、益々悪くなっていきます。
そんな折、正岡子規を介して知り合った高浜虚子の勧めで、気分転換に何か書いたらどうか、という提案で生まれたのが「吾輩は猫である」でした。夏目漱石が後に「文豪」と呼ばれるきっかけを作ったのが高浜虚子だったのです。
この漱石の処女作は、子規門下生で作る「山会」で高く評価され、翌年明治37年の1月、「ホトトギス」に読み切りとして掲載されました。これが余りにも好評だったので、続編を書くことになった漱石は作家としての人生を渇望し始めるのです。
漱石はこの後も「倫敦塔」や「坊ちゃん」を発表しますが、それまでの主流だった「自然主義」の対局に位置する「余裕派」と呼ばれる、少し「斜に構える」作風は革命的な人気を得ることになったのです。
赤星昇一郎がキャストを演じる「夏目漱石の生みの親」池辺三山とは?
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夏目漱石が小説家となるきっかけとなったのが高浜虚子だとすれば、「文豪夏目漱石」の生みの親といえば、池辺三山といっても過言ではないかも知れません。
池辺三山とは、熊本出身のジャーナリストで、夏目漱石より3歳年上です。池辺三山は、明治20年に「山梨日日新聞」に論説を投稿するなどして、日本の言論界にデビューしました、翌年、明治21年に、雑誌「経世評論」の主筆を務め、その後、25年にフランスに渡り、日本の新聞「日本」に「巴里通信」を寄稿して名声を獲得しました。
明治29年に大阪朝日新聞の主筆、翌年30年には東京朝日新聞の主筆も兼任し、31年には東京朝日新聞の専任になっています。
池辺三山は、リベラリストで、外交においては対露強硬路線の支持者で、内政、外交問題等、多くの社説を論じました。
そして、新聞作成においても、小説欄の充実を図り、二葉亭四迷や夏目漱石の投入を決め、連載小説を実現させたのです。
夏目漱石の妻でも、池辺三山が漱石宅を訪ね、直接スカウトしているシーンが出てきましたね。漱石の熊本での英語教師時代の月給が100円、東京での一高と帝大の両方合わせた年棒が1500円(月で割ると125円)という給料の時代に、池辺三山が漱石に提示して金額は月給が200円と、特別に破格なものでした。
明治40年、池辺三山の誘いを受け、夏目漱石は朝日新聞社に入社して、小説「虞美人草」で連載を始めます。その後も漱石は「三四郎」や「こころ」「道草」などを世に送り出して、文豪夏目漱石の名前を打ち立てました。
こうしてみると、ある意味で、池辺三山の漱石勧誘が小説家・夏目漱石を生んだとも言え、漱石の生みの親は池辺三山ということがいえるのかも知れません。
「夏目漱石の生みの親」池辺三山のキャストを演じる赤星昇一郎とは?
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夏目漱石の妻で、朝日新聞の主筆、池辺三山のキャストを演じるのは、お笑いの「怪物ランド」のメンバー、赤星昇一郎です。
赤星は、平光琢也、郷田ほづみと三人で「怪物ランド」として、「お笑いスター誕生」のグランプリに輝き芸能界デビューしました。
「スキンヘッドに口ひげ」がトレードマークとなり、その独特なルックスから特撮の出演なども多く、また時代劇から現代劇まで幅広いキャストに起用されています。
代表的な作品を見ても、大河ドラマでは「花の乱」、「秀吉」、「葵 徳川三代」、「義経」、「功名が辻」、「平清盛」など常連です。これらは、「スキンヘッドに口ひげ」が為せる技でしょうね。
その他でも、「水戸黄門」や「鬼平犯科帳」、「寺子屋ゆめ指南」など時代劇が目立ちますが、最近では「相棒」、「新・警視庁捜査一課9係」や「おやじの背中」、「信長協奏曲」など、現代劇にも多く出演しています。
直近では、向井理主演の「神の舌を持つ男」でも藪勘造のキャストで医者の役を演じています。
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