夏目漱石の妻で、夏目鏡子のキャストを尾野真千子が抜群に魅力的な演技で、漱石に扮する長谷川博己と息の合ったところを見せています。夏目漱石の悪妻と悪口を言われた鏡子夫人ですが、実態はそんなこともなく、波乱な人生の裏には沢山の漱石の思い出が詰まっていたようです。夏目漱石夫人を演じる尾野真千子の印象に残る名場面を選んでみました。
夏目漱石の妻 夏目漱石と中根鏡子の爆笑お見合いシーン
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夏目漱石の妻で、漱石と鏡子のお見合いシーンは爆笑でした。松山中学に赴任していた夏目漱石は上京し、中根家でのお見合いにやってきます。
貴族院書記官長の中根重一は、四国で盛んだという俳句を漱石も嗜むことを知り、お見合いの席で一句披露するよう促します。
官僚の父重一と学者の漱石、二人のやり取りは真面目です。
「まんじゅさげ あっけらかんと 道の端」
「乗りながら 馬の糞する 野菊かな」
最初はクスクス遠慮がちに笑っていた中根鏡子でしたが、堪えきれずに大声で笑い出してしまいます。その態度を見た父は娘の非礼さを恥じるような顔をします。一方で、何が可笑しいのか真面目な俳句に笑い転げる鏡子に驚く漱石でしたが、同時に裏表なく口を開けて大笑いする鏡子に新鮮で好印象をもった漱石でした。
尾野真千子のこのお見合いシーンは最高の出来でしたね。共演の舘ひろしの中根重一と漱石役の長谷川博己の演技と役作りも当時の明治人の様子が見てとれ、尾野真千子の演ずる中根鏡子の屈託のない天真爛漫な性格がよく表されていました。
神経質な性格の夏目漱石にとって、飾り気のない、無邪気で子供のような鏡子に好意を持つのは自然な成り行きだったでしょう。
夏目漱石の妻 尾野真千子の夏目鏡子の役作りと演技の素晴らしさ
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鏡子の流産と入水事件の後、漱石と鏡子は結婚三年目にして最初の子、筆子を授かります。しかし、すぐに文部省の命が下り、漱石は英国へ留学することになりました。定めは二年とあるので、鏡子と筆子は、熊本を引き上げ、東京にある鏡子の実家で暮らすことになりました。
夏目家で漱石の留学準備の荷造りをする漱石と鏡子の会話にも笑いましたね。漱石も鏡子も留学など初めての体験です。妻の鏡子は漱石の荷造りを急ぎますが、何ぶん、漱石が書き出したメモには英語の横文字がびっしり。
何が何だか分からず、天手古舞していると、「急げ」と漱石がやってきます。国から家族へ支給される25円の生活費の話をすると、引っ越し費用の清算を申し出る鏡子。
25円の支給額では、生まれてくる二人目の子供もいて、遣り繰りが大変だと不平を言う鏡子に対し、「俺だった大変なんだ。行きたくて行くんじゃない」と応対する漱石。
この辺から、弾んでいた会話が敵対するように変わって行きました。
「英文学の研究どころか、単なる英語研究だぞ」「君の父が洋行帰りは箔がつく、と裏から手を回してくれたんだぞ。君のために早く東京に戻れるようにとの気遣いに何故反対できる?」
「人のせいにしないでください。自分だって行きたかったんじゃありませんか」と応対する鏡子も言い負かされていません。
夏目漱石の緊張感と苛立ち、そして夫人鏡子の寂しさが、よく表されていた場面でした。尾野真千子と長谷川博己の「犬も食わない夫婦喧嘩」のこのシーンにも爆笑してしまいました。二人の演技は、実の夫婦になりきっていますよね。
特に、漱石が「止そう」と、口論を止めようとすると、鏡子が「止さないでください。私にだって分かることはあるんですから」と応対する尾野真千子のセリフ回しは上手でしたね。
こうして、旅立った夏目漱石が渡航中、妻の鏡子に宛てたといわれる一句が、漱石の心境を表していますね。
「秋風や 一人をふくや 海の上」
尾野真千子の演技が光った漱石帰国後のシーン
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英国から帰国した夏目漱石が見た実家は、経済的な大変さでした。鏡子の父、中根重一は政変により貴族院書記官長の職を解かれ失職し、挙句に手を出した九州の炭鉱株が暴落、高利貸しから借金をしてしまい困窮していたのです。
そんな父に頼ることはできない鏡子にとっても大変な試練でした。それを聞いた漱石は妻の鏡子に対し済まない思いに、畳にひっくり返り「もう、疲れた。ああー、10万円欲しい」と吐き出すように言います。
英国での留学のプレッシャーが相当きつかったのでしょう。夏目漱石はロンドンでの生活において、英語に対しても教師という職に対しても自信喪失となっていたのです。心身ともども、相当に疲れ切っていたのでしょう。
「10万円あったら、遊んで暮らせるぞ」、「仕事もせず、熊本へも帰らず、好きなことしてなあ。」「10万円あったらなあ・・・」
それを聞いた妻の鏡子が後に続きます。
「あたしだって欲しいです、10万円」
「欲しいか?」と漱石。
「遊んで暮らしたいです。何もしないで」と鏡子。
「10万円あればなあ」と漱石。
「あーあ、欲しい、欲しい」「仕事なんかしないぞー」「10万円欲しいぞー」「遊んで暮らすぞー」
尾野真千子と長谷川博己の掛け合いは見事でしたね。漱石と鏡子の心境がよく表されていましたね。二人の笑いと一緒に管理人も爆笑してしまいました。
因みに当時の10万円というのは、現在の価値でいうとどのくらいになるのでしょうか。当時の国立の学校教諭の月給が100円くらいだった(私学は30から40円程度)らしいですから、月給の1000倍です。
単純比較はできませんが、20万円の月給だとすると1000倍とは、2億円ということになります。そのままの数字は当てはまらないでしょうが、漱石の言う「10万円」という金額が途方もない金額であったことは想像できますね。なるほど「遊んで暮らす」の意味がよく分かるというものです。
管理人も心の内で「10万円、欲しいぞー」と叫んでいました。(笑)
昔は、このような粋なカップルがたくさん日本にいたようですね。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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