家族ノカタチ感想 唯一の望みは上野樹里と田中圭の劇中再婚!

家族ノカタチ

家族ノカタチ第7話の感想ですが、具合の悪くなった熊谷葉菜子(上野樹里)のケアをする元亭主高瀬和哉(田中圭)の二人がお似合いでしたね。すでに離婚の原因は分かりましたが、母親熊谷律子(風吹ジュン)同様、お似合いの上野樹里と田中圭の再婚を望みますね。

 

「家族ノカタチ」で一番理想は上野樹里と田中圭の劇中再婚

ドラマ「家族ノカタチ」全般に言えることですが、キャッチにあった「こじらせ」の意味が不明で、これは主演の香取慎吾もそのように論じていましたが、完全に脚本の「こじつけ」作業に終始しており、第7話でインドネシアから帰国する熊谷葉菜子を空港に迎えにきた元亭主の高瀬和哉のシーンが一番家族らしかったことです。

この場合、「家族」というより「夫婦」と置き換えた方がベターかも知れませんが、登場人物の人間関係を整理してみると、そういうことになるというのが管理人の感想です。

では、何故管理人がそのような感想を持ったのか、その辺を少し考えてみたいと思います。

 

「家族ノカタチ」の原点は夫婦にあり

では、このドラマのテーマにある「家族」とはいったいどのようなものでしょう。読者の方もご一緒に考えていただきたいのですが、「家族」の最小単位といえるものは「夫婦」ということになりませんか?

祖父母がいて、父母がいて、子供が居れば、これは三世代の家族ということになりますが、高度成長期を境に三世代同居型のライフスタイルは崩れ、子供夫婦が独立して祖父母と同居するケースは劇的に減少しました。

すると、残った「家族ノカタチ」は夫婦とその子供、つまり核家族になった分けです。その子供たちが、学校を卒業して独立すると、残るのは夫婦になるわけです。

しかし、近年の傾向で苦労を共にして夫婦関係を維持するという昔ながらの風習は後退して、さまざまな理由から(中には理由と呼べないものも含めて)早期離婚も許される風潮となりました。

余談ですが、今から30年ほど前に、管理人が会社を経営していた時分、面接に来られた半数以上の既婚女性がシングルマザーでしたからね。

いろいろと聞いてみると、どうやら当時からすでに小学生の三分の一程度は片親だったようです。数字の信憑性はここでは問題としません。

管理人が小学生の頃、同年代で親が離婚しているケースはほとんどありませんで、非常に珍しかったのを覚えています。ところが、それが30年前の日本ではすでに珍しいことでなくなっていたのです。

さて、本題である「家族」を考える場合、子供が居るための条件とすれば、最低限に必要なのは、その子供を産んだ親、つまりカップルということになります。つまり、「夫婦」が家族の最低限の単位ということになります。

 

「家族ノカタチ」に家族が見られなかった原因

この家族の形の最低限の「夫婦」という観点から「家族ノカタチ」を考えてみたいと思います。

主人公の永里大介は39歳独身。これは、全然問題ありません。まだ、結婚しておらず、家族を持ちたい願望が少ない主人公です。しかし、その両親を見てみましょう。お母さんが亡くなっており、父陽三は再婚はしたものの、後妻さんはなんちゃらかんちゃらで、一緒ではありません。つまり、形になっていないのです。

ヒロインの熊谷葉菜子は離婚しており、別れた元亭主である高瀬和哉の再婚希望を理由があって拒んでいます。

その葉菜子の両親は健在ですが、父親はまったく登場しておらず、母親の律子だけが、お邪魔虫となり葉奈子のマンションに押しかけてきているという不自然さです。管理人が思うには、こので二親揃って登場していれば、もう少し「家族の匂い」がしたと思っています。

つまり、ドラマ劇中においては、葉菜子は離婚、その両親も一緒に登場していません。

どうでしょうか。このようにみると、何故、管理人がこのドラマを評価できないのか、原因がはっきりしてきたのではないでしょうか。あとは、すべて「こじらせ」でなく、「こじつけ」です。実際にすでに、第8話になろうというのに、過去7回の物語はほとんど記憶にございません。(笑)

陽三や律子が勝手に押し掛けてきて、ごちゃごちゃ、カラオケやったりパーティーやったり、大介の会社でも、仕事は関係なく婚活パーティーの話がでてきたり、ありえないキャラの佐々木彰一が出てきたり、「家族ノカタチ」とは縁もない人物が描かれています。

 

「家族ノカタチ」最終回へ向けての希望は葉菜子・和哉の再婚

家族ノカタチ感想ですが、すでに第8話を迎えて、終盤となった今、 唯一の望みは上野樹里と田中圭の劇中再婚です。どんな理由で熊谷葉菜子が再婚を望んでいないのか、まだ明らかにはなっておりませんが、願わくば、上野樹里と田中圭の劇中再婚が実現することを願っています。

前述したように、空港での出迎えのシーンや、入院先の病室での会話や様子など、上野樹里と田中圭にほっとして安堵感を覚えたのは管理人だけではないでしょう。

家族の基本単位である「夫婦」が存在しない「家族ノカタチ」が、まったく形の見えないもののまま、終わるのだけは避けたいですし、今更、大介と葉菜子が結婚するといっても、劇中ではそこまでの親密さはありません。

もっとも、これまでの「こじつけ」で押し切ろうとするならば、どうにでも書ける脚本でしょうが。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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