夏目漱石の妻2話感想 現代にも通じるお見合い結婚の素晴しさ

夏目漱石の妻

夏目漱石の妻2話の感想ですが、幾つかの危機を乗り越えて家族を守った妻、夏目鏡子と漱石はお見合い結婚です。二人の夫婦愛と絆が育まれていった最大の要因は「お見合い結婚」にあると思います。昔ながらの「お見合い結婚」は廃れ、「恋愛結婚」から「婚活」なることばに象徴されるように結婚のスタイルも時代と伴に変わりました。しかし、現代にも通じるお見合い結婚の長所が「夏目漱石の妻」で披露されているという感想を持ちました。

 

夏目漱石の妻で語られる「あたしゃお父様(漱石)が一番いいねぇ」

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ドラマ「夏目漱石の妻」は、夏目漱石の妻、鏡子の供述を長女筆子の婿、松岡譲が書いた「漱石の思い出」が原案となっています。

この筆子と松岡譲の四女の半島一利夫人となった半島末利子が残した文に、夏目鏡子の次のような言葉があります。

いろんな男の人を見てきたけど、あたしゃお父様(漱石)が一番いいねぇ

夏目漱石の妻、鏡子が晩年、孫の末利子に語ったという漱石と漱石との生活を偲ぶ夏目鏡子の本心がよく表れている言葉なのではないでしょうか。すごく素敵な言葉ですね。深い愛情が感じ取れます。

 

夏目漱石の妻2話の感想ですが、1話よりもさらに波乱な生活(漱石の英国留学や子供の出産、父の失職など)を通して、漱石と鏡子が「二人三脚」で支えあう姿が印象的です。

鏡子が初産で流産という最悪の結果、入水事件で命を失いかけますが、強烈に反省した夏目漱石の態度には、純粋な愛情を感じましたね。

鏡子を心配する漱石が寝る時に二人の手首を紐を繋いで眠るシーンには、胸が熱くなりました。漱石を演じる長谷川博己と鏡子に扮する尾野真千子を見ていると、本物の夏目漱石・鏡子がタイムトリップして戻ってきたようではないですか。お似合いの二人ですね。

 

夏目漱石の妻2話感想 現代にも通じるお見合い結婚

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夏目漱石の妻2話の感想は、お見合い結婚にある一定の距離感が、互いをリスペクトする形に繋がり、結婚や家族の形を形成していくという「あるべき姿」が現れているように思いました。

太平洋戦争に負けて以来、悉く戦前からある日本の伝統が否定され続けてきました。「お見合い結婚」もその一つに入るかも知れません。

 

しかしながら、別に「お見合い結婚」とは日本だけのものでもないし、古くて価値の無いものでもありません。英国でもウィリアム・シェークスピアが著したように「ロミオとジュリエット」でも、ロミオのモンタギュー家とジュリエットのキャピュレット家の恋愛悲劇にあるように結婚が家族間のイベントでもありました。

1945年、太平洋戦争に負け、終戦以来、アメリカ文化が津波のように押し寄せ、あっという間に米食からパン食へ、英会話教室がわんさか登場し、結婚のスタイルもお見合いから恋愛結婚が花盛りとなりました。

神前結婚が急激に少なくなり、昨今はキリスト教徒でもないのに教会で結婚式を挙げるのが当たり前のようにファッション化してしまった現代ですが、「夏目漱石の妻」には、現代でも通用する真理が隠されているような感想を持ちました。

西洋のキリスト教の概念からすれば、キリスト教自体が「神との契約」なのですから、その神の前で結婚するということは、その結婚が神との契約そのものです。

しかしながら、実態はといえば、離婚は増え続けていて、片親家庭は子供が小学生でも珍しいことではなくなってしまいました。そのくらい離婚率は高いのです。

 

因みに管理人が小学、中学生の頃と言えば、1クラス50人の教室で、親が離婚していた家庭の子供はせいぜい一人か二人くらいでした。当時の両親はほとんどがお見合い結婚でした。

ところが、現在はどうでしょう。1クラス30人程度でも、半数から三分の一程度は片親になっているのではないでしょうか。恋愛結婚がいかに難しいか説く解説書も無いでしょうが、この事実を語るメディアも少ないでしょう。

恋愛漫画で溢れる少女漫画を取り上げるまでもなく、恋愛を称賛するメディアは「金の成る木」同様に結婚を扱っています。そんな中で、明治に生きた夏目漱石と鏡子の夫婦愛と絆を描いた「夏目漱石の妻」が、見合い結婚の素晴らしさを証明していると言えば、大袈裟に聞こえるでしょうか?

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