加藤虎ノ介が正岡子規の役で「夏目漱石の妻」にキャストイン

夏目漱石の妻

加藤虎ノ介が「夏目漱石の妻」で、長谷川博己が演じる夏目漱石の盟友の正岡子規キャストを演じています。正岡子規といえば短命でしたが、日本文学に多大な影響を残した優れた文化人でした。

 

夏目漱石の妻キャスト 加藤虎ノ介が演じる正岡子規の生まれ

夏目漱石の妻で、加藤虎ノ介キャストを演じる正岡子規と言えば、愛媛県が生んだ偉大なる俳句や歌の作者で、生まれは夏目漱石と同じ慶応3年10月です。1月生まれの漱石の方が僅かに年上ということになります。

正岡子規は、侍の子供で、当時、伊予の国、松山藩士、正岡常尚と八重夫妻の長男として生まれました。母方の父は儒教学者の大原観山です。

 

夏目漱石の妻キャスト 加藤虎ノ介が演じる正岡子規の生い立ちとは?

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加藤虎ノ介が扮する正岡子規は、早くに父を亡くし、僅か5歳で家督を継ぐことになります。母方の叔父加藤恒忠が後見となり、外祖父の大原観山の私塾に通いながら漢文を習い、早くから高い教育を受けました。

読み書きができることから、すでに少年期に漢詩を書いたり、戯曲や書画なとも嗜み、回覧雑誌などの制作にも意欲的でした。

明治13年、旧制松山中学を中退して東京に出てきます。受験勉強のため、共立学校、今でいう開成高に入学し、次の年には東大予備門(現在の東大教養学部)に入学します。

明治23年、帝国大学の哲学科に進学、その後、国文科に移りました。すでに23歳という年齢ですから、正岡子規の時代、結構のんびりしていたようですね。生まれ育ちの良さを感じることができると思います。

 

夏目漱石の妻キャスト 俳聖・正岡子規と盟友夏目漱石の出会い

俳句の世界で活躍した正岡子規夏目漱石との出会いは、東大予備門でした。正岡子規が俳句を作り始めるのはこの頃です。

子規という名の由来は「ホトトギス」であり、日清戦争の出兵の帰り、吐血した子規が、「鳴いて血を吐く」ホトトギスに因んで、漢字表記の「子規」を自分の俳号としたのです。

帝国大学を中退した後、叔父の加藤拓川の勧めで「日本」新聞の記者となった正岡子規は、30歳で俳句雑誌「ホトトギス」を設立します。

 

この頃、正岡子規夏目漱石の下宿に居候しながら、俳句会を開いたりもしています。互いに執筆した作品の書評などを書く間柄で、この二人の友情は、子規が生涯を閉じる34歳まで続きました。

短い生涯だった正岡子規ですが、後に夏目漱石に小説を書くよう勧める高浜虚子をはじめ、多くの門下生を輩出しました。俳句の世界にこれだけ没頭できたのも、正岡子規の生い立ちや背景など、教養の世界で生きる経済力と名士の家柄とも言えるでしょう。

正岡子規による代表的な俳句を載せておきます。写実主義の正岡子規の俳句観が非常によく表れている優れた作品といえるものです。

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

 

夏目漱石の妻キャスト 正岡子規を演じる加藤虎ノ介とは?

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夏目漱石の妻で、俳聖・正岡子規キャストを演じる加藤虎ノ介とは、現在41歳でアルファエージェンシー所属の俳優です。

アルファエージェンシーといえば、代表的な所属俳優に、萩原聖人、平田満、細田善彦、柄本祐、女優では和久井映見、江波杏子などがいます。(離婚した萩原聖人と和久井映見が同じ事務所というのも可笑しいですね。)

大阪芸大の芸術学部映像学科を中退した加藤虎ノ介は、MOTHERという劇団に入団しますが、2002年に劇団が解散となり、その後は舞台を中心に活躍してきました。

加藤は本名の奥田義人をしばらくクレジットで使っていましたが、2006年には現在の「加藤虎ノ介」を芸名としています。

 

舞台俳優ということで知名度も低かった加藤虎ノ介ですが、2007年の連続テレビ小説「ちりとてちん」のつ徒然亭四草(倉沢忍役)が当たり、知名度を高めました。

その後は、「SCANDAL」、「相棒」、「龍馬伝」「平清盛」「八重の桜」など大河ドラマ、「3年B組金八先生ファイナル」、「半沢直樹」、「HERO」、「無痛~診える眼~」、「エンジェル・ハート」などの人気番組に出演しています。

直近では、前クールで放送された「神の舌を持つ男」でも、徳沢刑事役でキャストインしています。いまでは、舞台よりもテレビドラマに引っ張りだこで、映像で見る機会の方が多いようです。

夏目漱石の妻でも、正岡子規の渋い個性を演じて見せる加藤虎ノ介です。

 

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