立川談春が自身の半生を現した著書「赤めだか」がドラマ化され、今晩いよいよ放送となります。主演の立川談春のキャストを務める嵐のニノこと二宮和也の演技力に談春は涙したといいます。「下町ロケット」では経理部の殿村直弘役の真に迫る演技で、何度も阿部寛を泣かせてきた談春を泣かせた演技とは?
立川談春のテレビの露出度
1 立川流とは
立川談志率いる立川流の落語家は寄席に出ることができません。「定席」と呼ばれる演芸場への出演ができませんから、立川一門の落語家は独演会や一門会を場所を借りて独自に開催せねばなりません。
ここで、ちょっとだけ、昔話をしましょう。落語の全盛期を過ぎた昭和70年代、落語の凋落を見た時の落語協会の会長であった五代目の柳家小さんが復興策として、それまでの真打昇進の制度を改め、昇進し易く改訂し、多くの真打を認めるように方向転換しようとしたのです。
しかし、この小さんのアイデアに「待った」を掛けたのが、当時、落語協会の最高顧問であった六代目の三遊亭圓生でした。物凄い努力家でもあり、何でもできる(浄瑠璃、常磐津、舞踊、義太夫など)芸達者な圓生は、「簡単に真打にしてしまう昇進制度」に反対するのは道理であり、小さんのアイデアには大反対でした。管理人は圓生の理解者です。
ここから少し、ややこしくなるのですが、若くしてその実力が認められていた立川談志は当然、圓生と同じ考えで、三代目古今亭志ん朝と共に圓生派となり、行動を共にするはずでした。行動とは最高顧問と一緒に、落語協会を離脱して新団体を設立するというものでした。
しかし、設立直前になって談志はその意思を翻し、落語協会残留を決めてしまったのです。圓生と行動を共にした落語三遊協会の噺家は、当時のメインの寄席(上野鈴本演芸場、浅草演芸ホール、新宿末廣亭、池袋演芸場)から締め出されてしまいました。
結局、思ったほど賛同者を得られなかった三遊協会は、その後圓生も他界し、自然消滅するのですが、人気凋落傾向にあった落語界の再興を巡り対立したこの事件は、後に「落語協会分裂騒動」としてのみ記憶に残り、落語の再興には寄与しませんでした。
昭和58年、立川談志の弟子2人を含む10人が、真打昇進試験を受けるのですが、理事であった談志はこの試験に出ずに、弟子は二人とも不合格となるのです。しかし、ここで問題が発生しました。
受験した談志の弟子、談四楼と小談志よりはるかに下手で力の無い林家三平源平が合格するという結果が、不合理で納得できないとして、立川談志はここで協会を離脱して、自分の弟子を連れて出て新組織、立川流落語会を設立したのです。そして、この時に談志は「家元制」を取り入れたのです。
因みに現在は無くなっているコース制度(コースによって、著名人、有名な芸能人、或は一般人)の仕分けにより一般人までも取り込むというユニークな入門制度の導入なども取り入れていました。
協会離脱により、一般のメインな寄席への出演が閉ざされた立川一門は、自分たちで独自の開演をしなければならなくなりました。
この一連の動きと流れを観ると、落語という芸術とその存在価値と継続維持の苦悩を見て取れるでしょう。意見の相違は脇に置いて、元禄時代に生まれ、多くの民衆の支持を得てきた落語の凋落を危惧した落語家たちが、手法は違えど、落語界の復興を案じたために起ったものと捉えることができるでしょう。
2 立川談春の演技力
落語家・立川談春の「役者」としての評価が非常に高いのは、周知の事実です。では、何故、これほどまでに談春の演技力が素晴らしいのでしょう。
全員に言い当たるということではありませんが、得てして落語家には、演技が上手な人が多いです。やはり、その表現力は下手な俳優よりもはるかに上手いと言えるでしょう。
しかし、それはまた或る意味、落語家なら、当然とも言えると思います。何しろ落語に登場する人物は、二人や三人ではありません。多い落語になると10人を数えることもあるでしょう。また、登場人物には男性のみならず女性、若い女性から老婆まで、これを全て一人で演じるのですから、頷けることですよね。
さて、落語一筋かと思われた立川談春ですが、師匠談志亡き後、彼もやはり「落語界」の存亡の危機を意識したと言います。師匠の意を悟った談春はそれを機に、テレビ露出も増やし、少しでも落語を知ってもらい、広げて、後世に引き継いでいこうと決意したようです。
「下町ロケット」で談春の演じた殿村直治に泣かされた視聴者(管理人も含めて)は多いと思いますが、談春の素晴らしさは、彼の語る一語一語に気持ちがこもっており、その人物に成り切れる表現力にあるのではないでしょうか。
実際に共演した主演の阿部寛は、談春の演じた「殿村直治」のシーンでは何度も泣かされたと語っています。
【ドラマ赤メダカのあらすじはこちらからどうぞ】
「赤めだか」談春キャストの二宮和也に談春自身も脱帽
人気グループ嵐のメンバーとして活躍している二宮和也ですが、14歳の時に舞台でデビューしているのです。16歳で嵐結成のメンバーとなりますが、この嵐に関しては音楽以外でもメンバーたちはドラマや映画に俳優として活躍しています。
嵐のデビューに関するトリビアとして愉快なのは、5人中3人(大野、櫻井、二宮)は、ハワイでのイベント参加後は離脱を考えていて、当初は嵐存続をまったく意識していなかったことです。
なるほど、人気を博した後でも、それぞれの活動領域が独自の広さを持っている意味がよく解かるのではないでしょうか。
テレビ・ラジオ・ドラマ・映画・CMと幅広いエリアで活躍する二宮和也ですが、彼の名を有名にしたのが、クリント・イーストウッドが監督した映画「硫黄島からの手紙」でしょう。
渡辺謙以外の日本人キャストは全員オーディションで決定となる中、二宮和也が演じた西郷陸軍一等兵は、脚本に無かった人物で、イ―ストウッドがニノの演技力に惚れ込んで、二宮のためのキャストを後から作ったと言われるほどです。
さて、この「赤めだか」で談春を演じる二宮和也の演技に対し、談春はニノの芸達者に舌を巻いたと言います。自分が落語家で、役者として高い評価を得ている談春ですが、歌手で俳優のニノが演じる談春の高座のシーンです。
自分たちが数年かけて習う落語を僅か二週間程度で「本物の噺家」になっていたと言い、感涙の涙を流したそうです。あの阿部寛を泣かせた立川談春が、今度は二宮和也の演技で泣かされる番となりました。
談春の青春時代を描いた苦労話「赤めだか」はいよいよ今晩9時、TBS系で放送されます。お見逃しなく!
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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