壇蜜が大塚楠緒子(なおこ)のキャストで、夏目漱石の「心の恋人」として描かれます。妻の鏡子夫人からすれば、浮気相手として取られたのかも知れませんが、実は大塚楠緒子とは漱石が鏡子と結婚する前から知り合いだったのです。「夏目漱石の妻」4話は最終回を迎え、漱石・鏡子夫妻の危機をどのように描くのでしょうか。
壇蜜が演じる漱石が慕っていた大塚楠緒子とは?
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壇蜜が演じる「夏目漱石の妻」4話の最終回に登場する大塚楠緒子とは、漱石が大学院に進学して、宿舎で同室となった親友の小屋保治(おややすじ)が深く関係しているようです。
小屋保治は、後にこの大塚楠緒子の婿となる人物なのです。東京女子師範付属女学校に学んだ大塚楠緒子の才媛さに魅了された漱石は、小屋保治の手前もあり、気持ちを打ち明けることはできなかったのでしょう。
恋い焦がれる大塚楠緒子は、小屋保治と結婚するわけですが、もしかすると婿入りが条件だったのかも知れません。しかし、漱石も婿候補だったという話もあり、「恋人」とされる所以は、二人の挙式に参列した直後に、愛媛の松山行きを決めたとされ、漱石の失恋感情がそうさせたとも言われています。
その逸話の一つが、小屋と楠緒子の結婚後に、漱石が松山の中学に就いたことがあります。当時、山口で高校教師の職が月給100円であったのに対し、80円の中学教師の道を選んだ漱石が、失恋していたため、何か特別なプライベートの事情があったためと解釈され、楠緒子と保治の結婚に失恋から東京を離れたと受け止められたのです。
しかし、実際は、漱石が大学院に入った時、小屋保治はこの年(明治26年)に大塚楠緒子と見合いしているのです。少々不可解なことがあり、あまり指摘はされないのですが、小屋保治と大塚楠緒子が結婚したのは、見合いから翌々年の明治28年なのです。当時はお見合いから結婚まで一年半も結婚しなかったのですが、その位の準備期間は当たり前だったのでしょうかね。
この大学院時代の3人の関係については、詳細は分からないようで、ここでは漱石が楠緒子に対し、好意をもっていたとしても、それ以上何もなかったようなのです。
夏目鏡子(尾野真千子)が不安がる大塚楠緒子と漱石の関係
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では、なぜ漱石の妻、鏡子が大塚楠緒子(壇蜜)に対し、不安を感じるのか探ってみましょう。
大塚楠緒子は亭主の保治が、日露戦争で駆り出されてしまい、残された妻の心情を綴った歌集「お百度詣り」を雑誌太陽で発表しました。1905年ですから、丁度、漱石が「吾輩は猫である」で名声を挙げた時期です。
この頃、大塚楠緒子は、自分の書いた小説を新聞社に紹介してもらうために、夏目漱石を訪ねて漱石邸に出入りしていたようです。事実、後に大塚楠緒子は朝日新聞に連載小説を執筆しています。一説によると、「吾輩」ですでに有名になっていた漱石を「師」のように慕った大塚は漱石の弟子のように振舞ったようです。
顔見知りで、美人聡明、才女の大塚楠緒子と漱石が一緒のところを見る度に、妻の鏡子が不安になり苛立つのも理解できるでしょう。特に、妻の鏡子と見合い結婚する前から楠緒子を知っているのですから、口論が絶えない漱石に焼きもちを焼く鏡子の心理はよく分かります。
また、大塚楠緒子は、保治が留学中には、明治女学校で英語を学ぶなどしましたから、漱石にとっても楠緒子にとっても互いに興味の対象が一緒だったということも、鏡子を苛立たせる原因となったことでしょう。
しかし、ネタバレではありませんが、才色兼備と褒められた大塚楠緒子は、わずか35歳で、その命と落とすのです。肋膜炎に倒れ、亭主と四人の子供を残して亡くなってしまいました。
人生に「たら・れば」はありませんが、もし、夏目漱石が大塚楠緒子と結婚していたら、「文豪」が誕生したかどうか、分かりませんね。楠緒子が亡くなった1905年、漱石は38歳です。
漱石の作家としての活動期間が38歳から亡くなる49歳までということを考えると、結婚相手が夏目鏡子だったからこそ、「文豪・夏目漱石」の誕生が適ったといえると思います。
大塚楠緒子のキャストを演じる壇蜜は、文才もあり美貌の持ち主を演じるにはぴったりのキャストといえ、最終回が楽しみです。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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