グッドパートナー 無敵の弁護士で「セクハラ」がテーマとなりました。逢沢りな扮する美人看護師桜井奈緒が外科部長の厚木義忠(神尾佑)からセクハラ被害を受けるというものです。では、いったいこの「セクハラ」とは、どんな意味があり、どこまで制約されるのでしょう?
セクハラの正式名称と起源と本来の意味
セクハラというのは、正式名称「Sexal Harrasment」といい、1970年代にアメリカで起こされた訴訟が元になっています。
ご存じのようにアメリカは「訴訟社会」となってしまい、判例によって裁判が戦われます。この「セクハラ」という概念は、70年代に、女性雑誌の編集者であったグロリア・スタイネムという女性が作り出した、いわゆる造語でした。
その後、80年代に入り、裁判で初めてこの「セクハラ行為」が人権法違反という判決を受け、性に対する差別であると認識されるに至りました。
この人権法違反というのが、その後、セクハラの対象が「女性」の人権保護のみならず、男性も被害の対象となったのです。意味が拡大解釈され、人権という名の元に男女同権となったのです。
セクハラの定義・概念:その意味を考える
はっきり言うと、セクハラより日本語訳での「性的嫌がらせ」の方が、はるかに分かり易い定義であります。この辺は、アメリカに住んでいた管理人ですが、日本語の優秀性を強く感じますね。
場合によっては英語の方が優れている時もありますが、このセクハラに関していうと、日本語で「性的嫌がらせ」の方が日本人には分かり易いはずです。
実は、英語でも「harrasment」というのは、「迷惑な」とか「悩みの種」とかに訳されており、単に「ハラスメント」とカタカナ表記にすれば良いものではありません。
このセクハラはパワーハラスメントと親戚関係のようなもので、要するに簡単に言ってしまうと、立場を利用して相手を蹂躙する、とこうなるでしょう。
その立場の利用の仕方が性的行為に及んだ場合、「セクハラ」と認定される、こう理解すると納得できるのではないでしょうか。
この概念は、男性から女性に対する行為のみならず、広義の解釈として、女性から男性への行為、女性から女性へ、男性から男性へと、差別なく適用されるようになりました。
一つの例でいうと、体育会系の性的いじめなども対象になりました。
女性だけが集まって、男性の噂話などもセクハラの対象となっているのは、まだ余り知らせておりません。こうなると、女性もうっかり話はできませんよ。グッドパートナーの女性弁護士、夏目佳恵なんかも、セクハラ、パワハラのターゲットでしょうね。(笑)あれだけ強気なんですから。
その一方で、この法律の至らないことも指摘されています。それが、「セクハラ」を悪用するケースです。職場などで、セクハラを捏造されるケースです。
陥れたい人物をセクハラで訴えることで、失脚させる冤罪の横行も存在する問題点もあり、まさに日本も明国型の訴訟社会になってしまいました。
日本人の勘違い:法律が全てであるという誤解
最初にズバリ指摘したいのが、日本に蔓延しているともいえる大きな勘違い、「法律がすべてであり、世の中のルールが社会を良くする」というものです。
法律は絶対に社会を良くすることはありません。特に、訴訟社会となって、相手を訴えて勝つことを良しとする概念は、米国の特権グループが編み出した技と言ってもよいくらいです。
前述した通り、セクハラで嫌がらせやいじめが、罰則の対象となったことは一つの解決策としては有効ですが、セクハラ行為を無くす処方にはなり得ません。むしろ、その反対に冤罪を生む問題提起も生み出しているのです。
どちらに転んでも弁護士さんの出番となります。この点が、米国の悩みの種となっているのです。私の義兄弟のイタリア人は、米国の職場で黒人の女性からセクハラで訴えられ職場を追い出された経験をもっています。
管理人は還暦を迎えたので、半世紀の社会変化を見て気づくことがあります。その一つが、この日本も米国型の訴訟社会にされてしまったということです。テレビで「行列ができる・・・・」という番組がそれを印象付けています。
一方で、このグッドパートナー 無敵の弁護士が優れているのは、法廷ドラマではなく「法務&ホーム」ドラマというコンセプトがあるからです。まさしく、ヒューマンドラマであり法廷シーンはほとんどありません。
それより、竹野内豊が、弁護士バッジを外して「一人の人間として言わせていただきます」のセリフと共に、道理的、理知的解決案の受け入れを促すのです。
争い事は絶えないのが人類史ですが、人間には人間としての理性、知性、感性がありますので、その争いを回避できる能力はあるものと信じたいですね。
奇妙な光景のLPGAのハグシーン:セクハラの意味を考える
推測で言うのは烏滸がましいのですが、脳裏を掠めたことがあるので、特筆しておきたいと思います。
それはアメリカ女子ゴルフを見ていて、いつも思うことです。最終18番ホール。ゴルフをホールアウトした選手とキャディ(多くの場合男性)が、お互いを称え、ハグするシーンです。
アメリカ人は、挨拶にキスするよりハグを好みます。しかし、本来のハグは、ある程度力を入れて相手を抱きしめるのが普通でした。
ところが、現在では皆、体は付けないで距離を保ち、大きく手を相手の背に回し「ポンポン」と二回叩くというのが、お決まりのスタイルとなっています。
これは女性選手同士でも同じです。実に奇妙な光景と言わざるを得ません。管理人の脳裏に浮かんだのが二つの言葉です。
「セクハラ」と「訴訟」です。おそらくですが、相手を強く抱きしめると、感情を押し付ける行為とみなされ、場合によってはセクハラの対象となってしまうのでしょう。
ですから、米国では事例に従い、「ここまではオーケー」という判例を基に、行動様式が定まったのではないでしょうか。あの奇妙なハグシーンはそれを物語っているように思えます。
訴訟社会の行き着く最後は、全ての行動が法律で制約されてしうまうことです。「自由の国」アメリカは、「法律で雁字搦め」となってしまいましたね。法律で縛られるよりも、高いモラル、道徳心を養う方が、より良い社会が実現されるはずです。
法律の意味を考えるきっかけとなれば幸いです。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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