小松美羽。まだ30歳という若さのアーティストです。小松美羽は大学生の時に生んだ作品「四十九日」で脚光を浴び有名になりました。その後、壁に突き当たった小松美羽は、そこから「美しい羽」のように「狛犬」で大英博物館まで飛躍したのです。
小松美羽の作品「四十九日」とは?
小松美羽を有名にしたのは、彼女がまだ大学生の時に描いた作品で銅版画「四十九日」でした。まだ20歳の小松さんは、この「四十九日」に彼女の亡くなったお祖父さんや何故からくだやうさぎを伴って成仏する様子を描いたのです。
このデッサンは絶賛され、京都にある呉服屋をはじめいろんな所から作品の注文が舞い込んでくるようになってのです。そして、冠に「美しすぎる」の日本メディアの定番をいただいた小松美羽さんはメディアの露出も増え、知名度はぐんと上がりました。
しかし、若くして評判になり売れっ子になると、今度はそれが「足枷」となってしまうのです。何故なら、作品の「四十九日」に因んだ依頼が多くなり。他の作品が注目されなかったからです。これには小松さんも悩まされました。こういう壁は若くして名声を得た人には付き物のようです。
業種は違いますが、先日も内山信二が「しくじり先生」でやっていましたね。古い世代の方は、「高校3年生」を歌った舟木一夫を思い出す方もいらっしゃるのではないでしょうか。
芸術家として、周囲が他のテーマに関心を示してくれないというジレンマに陥った小松美羽さんは、あまりのストレスから円形脱毛症にもなってしまうのです。
小松美羽を蘇られた一大決心
そんな誰にも相談できない苦境を小松美羽さんは「一大決心」で乗り切ろうとしました。小松さんは、そこで信じられないような行動に出るのです。
意を決した小松さんが向かった先は、母校の女子美大でした。そこには、オリジナルの「四十九日」が保管されていました。そして、小松さんは、その大切な原版を機械で切断してしまったのです。涙する小松さんの姿は想像に難くありません。
そして、この瞬間に新しい小松さんが誕生したと言っても過言ではないでしょう。
銅版画から絵画へと新しい作品への挑戦の始まり
それまでは銅版画の作品作りを目指してきた小松さんは新しい挑戦として絵画の世界に入っていきました。そして、小松美羽さんの描いた作品は、あの出雲大社の奉納されたのです。その絵画は、天にいる鳳凰を描いたような作品で稲妻が光り、その周りを小鳥たちが舞うような姿ですが立派な作品です。
小松美羽の狛犬
小松美羽さんは「狛犬」に魅せられ、多くのデッサンを手掛けていました。恐らく彼女の中では「狛犬」はライフワークとも言えるテーマなのでしょう。
そして、それが新しい挑戦の象徴でした。小松さんは、自分でデッサンした狛犬の絵画を元に、有田焼の職人に焼いてもらい、その狛犬に絵描きしたのです。
小松さんのイメージした狛犬は神聖な守り神です。この狛犬が世界でも最大級の大英博物館の学芸会員に注目され、なんと小松さんの「狛犬」は海を渡ることになったのです。私も若い時にこの博物館は行ったことがありますが、「世界一」と言っても誰も異論はないほど素晴らしい博物館です。
まだ生きている芸術家の作品が大英博物館で保管展示されることは滅多にないことで、推薦した学会員は「間違いなく大英博物館の守り神」となると絶賛しています。
小松美羽の芸術家としての素晴らしさ
若くしてメディアに多く登場してきた小松さんは、頭に「美しすぎる」と付くのが好きではないということで、私は非常に好感を持ちました。小松さんは芸術家であってモデルではありません。作品で評価されるなら兎も角、「若い女性」というだけで、何でもかんでも「馬鹿の一つ覚え」のようなマスコミの「美しすぎる」という表現には、余り好感を持っていないようです。
テレビの露出が多いとは言え、芸術家である小松美羽さんは芸能人とは違います。まだ、30歳と若い小松さんの今後の活躍が楽しみです。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
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