シンギュラリティー最新情報 マイクロソフトのTayの大暴走

シンギュラリティー

つい先日のこと、マイクロソフトが開発中のAIロボット「Tay」(テイ)が大暴走する事故が報告されました。シンギュラリティーの最前線で何が起こっているのでしょう?最新情報を検証してみます。

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シンギュラリティーと人口知能開発の危険性について

シンギュラリティーとは、技術的特異点と訳されており、科学技術の進歩が人間の能力を凌ぐポイントを指しています。

レイモンド・カーツワイル博士は、人類の知識の蓄積と進歩は単純な直線的進歩ではなく、指数関数的に飛躍するので、ある時点を超えると人間が想像する以上のスピードで進化してしまうと説明しています。

そして、その進化のスピードは技術のみならず、経済的コストの面においても同じような効果があると前向きな発言をしています。

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レイモンド・カーツワイル博士は、「人工知能の進化」を、「火」を発見した人類に例え、「火」は人間を温めたり、調理をしたりと役立つ反面、火事にもなったり危険を伴うこともあるとして、「火」そのものに非は無いとします。

むしろ、それを扱う人類の方に問題は存在する、という訳です。

と、すれば、問題は人類そのものにある、といえるはずです。多くの人が危惧するのは、まさにその点にあるといえるでしょう。

さて、シンギュラリティーのポイントを2045年としたカーツワイル博士ですが、一説によると、どうも、それよりも早くシンギュラリティーを迎えるかも知れません。

 

マイクロソフトのAIロボット、Tayの暴走とは?

先日のマイクロソフトTay(テイ)と名付けられたAIロボットは、最先端のディープラーニングを兼ね備えた、いわゆる「セルフ・ラーニング」のプログラムを搭載されたロボットです。

つまり、人間とのやり取りを繰り返すことで、自動的にその知識を蓄積して、自分の学び取る学習機能を備えているのです。

そして、このTayが、SNSのツイッターで、性能を試す時がきたのです。ところが、僅か16時間で、Tayの運転は中止に追い込まれました。

その理由は、Tayの発言にありました。

ヒトラーは間違いではなかった

911はブッシュがやった

などの、とんでもない(管理人はとんでもないとは思いませんが)とされる発言をTayが投稿したからとされています。この発言内容に驚いたマイクロソフトTayのプログラムミスだとして、一時的にシャットダウンを決めたのです。

Tayとツイートしたい方はこちら】

 

 「神」の領域に踏み込んだ人間たち

人間は誰が作ったのか、それを「神」の仕業と思える人には、この「AI」を作る作業は、「究極の人間の模倣」であり、「神への冒涜」に他ならないものと言えるでしょう。

私利私欲に塗れたままの社会システム、資本主義、営利主義のままでは、どんなAIを生み出しても、恐らく、それは一部の人間を利するだけに終わると思われます。

本来なら、もう少しユートピア思想が先進国に波及しているはずの今世紀において、我々はまだ、「強欲」に支配された世界に生きています。

このシステムが終わらないで、このままAI技術の開発が指数関数的に発展を遂げていけば、おそらく間違いなく、我々は商業主義の中で、ロボットに使われるような存在になってしまうのではないかと危惧されます。

 

AI開発の前に人類は問題を解決できるのか?

すでに、多くの問題が世界中で起こっています。人口、食糧、水、エネルギー問題等、世界で起こっている諸問題が戦争にまで発展しているのです。

例えば、食料のほとんどを輸入に頼る日本ですが、毎日、どれほどの食料が無駄になっているのか、考えてみましょう。資本主義においては、「自分たちで、働いて買った食料だ、どうしようとも自分たちの勝手だ」と考えても、不思議ではありません。

しかし、トータルで考えてみれば、これほど理不尽な考え方はないと分かるでしょう。それだけ無駄にする食料があれば、食うに食われぬ食糧難の連中の胃袋を満たすことができるはずですよね。

1%の人間が90%の富を独占している世界は奇妙なものだと思いませんか。一生使い切れない財産の所有とはいったい何を意味するのでしょうか?管理人には、どうしても「神」が、そのような意図で人間を作ったようには思えないのです。

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幸い、日本人は勤勉で、公正で、非常に人間的で、これまで西洋社会の中でも成功させてきました。しかしながら、元来、日本文化はもっと自然と「共生」して生きてきたのではないでしょうか。

そろそろこの辺で、本来、ユートピア的思想の中で生きてきた日本人の「世界観」が、活かされる社会を取り戻さないと、シンギュラリティーの問題は、我々自身を追い詰めることになりかねません。

 

 マイクロソフトに危機感を覚える

ウィンドウズの開発で一躍巨大な会社となったマイクロソフトですが、ソフトが新しくなる度に、「何で?どうして?」っている体験をした方は少なくないと思います。

管理人もそうですが、「前の方が良かった」と思う場面は数え切れません。では、何故、そのような不便な変更を「新開発」する必要があるのでしょう?

企業の存続が、更なる金儲けに依存するようになると、利用者の便宜は無視され、企業の都合だけで開発が進むことになります。ウィンドウズの評価がそれに如実に表れています。

結局、それと同じ理屈で、AIロボットにディープ・ラーニングさせることによってロボット自身が自分の力で知識を蓄積しても、最終的に「吉と出るのか凶と出る」のかは、成ってみないと分からないという、極めて不安が残る結果にしかならないのではないでしょうか。
まだまだ、先が読めないシンギュラリティー問題ですが、一つだけ言えることがあります。それは、そのスピードが早くなることはあっても、遅くなることはないであろう、ということです。これからも、この問題については注視していこうと思います。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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