家族ノカタチ第6話視聴率と感想 他人無視の行動が至るところに

家族ノカタチ

家族ノカタチ第5話、前回は8.6%と1.3%も視聴率を下げましたが、今回の第6話では、視聴率が若干、上向いているのではないでしょうか。家族ノカタチ第6話 感想ですが、やっとストーリーがつながってきた感じもあり、香取慎吾演じる永里大介と上野樹里がキャストの熊谷葉菜子の関係も、徐々に「関係」と呼べるくらいの距離感となってきました。(笑)

 

家族のカタチ第6話の視聴率の予想

第5話では、前回から1.3%も落ちた視聴率ですが、おそらく、その落ちた分は回復したのではないかと管理人は予想しています。

ドラマも後半に入ってやっと主人公の永里大介と熊谷葉菜子に「人間関係」、つまりRelationshipと呼ばれる関係が成立してきたように思います。少し、遅すぎますけどね。(笑)

熊谷葉菜子が自身の不妊症(子宮外妊娠)を告げたことで、永里大介が混乱してしまいます。どんな風に受け取ってよいのか、分からなかったからです。

第6話は、この葉菜子の打ち明け話が中心となっていたので、分かり易かったですし、話がつながりました。(笑)

 

佐々木彰一(荒川良々)の登場は不要だと最初から思っている管理人としては、彼の婚活はまったく無用だと思いました。どうしても、彼のキャストと挿話を入れたいのであれば、別なドラマにすれば良いと思っているくらいです。

婚活で、可愛い美人の彼女が出来たと騒ぐシーンも、「只々、おめでたい」としか言いようがありません。婚活で出会ったばかりで、「彼女」ではないでしょう。付き合ってもいないのですからね。それで、39歳であの緊張感や盛り上がり方は異様にさえ映りました。(笑)

39歳であの程度の人間付き合いしかできないのでは、「可哀想」をずーと通り越して、「悲惨」です。

それから、「人迷惑」な大介の父、西田敏行が演じる永里陽三の出番も、今までよりも少なくて、「飛ばす」場面が少なく、気分も害されなく、視聴率には貢献したのではないでしょうか。

やはり、39歳の息子に対して、「成人」という対応に欠ける親子描写は、あまり現実的ではありませんし、人としてのリスペクトがまったくありません。かなり昔、私の祖父の時代の日本人の価値観であったように思えます。その頃の価値観、世間の通年は「子供はいつまでたっても半人前」が当たり前だったからです。でも、時代は変わっているのです。
家族ノカタチ第6話視聴率

第6話の視聴率は、なんと第5話と同じく、8.6%でした。回復しませんでしたね。

 

家族ノカタチ第6話の感想

第6話の感想1 熊谷葉菜子の打ち明け話について

誰にも話したことのない個人的なことを、それほど深い仲ではない永里大介に話をした熊谷葉菜子の心理を考えると、だいたい二つの理由が考えられますね。

熊谷葉菜子は、話さずともよいこと(それまで誰にも話していない)を大介に話した理由は、

1. 大介なら自分の気持ちを解ってくれるだろうと思った
2. 大介には、自分の気持ちを解って欲しかった

以上に二つが、考えられる大きな理由でしょう。人間が、誰かに話をして打ち明けたいと思う動機は、ふつう、上記の二つです。

第6話まで、引っ張ってきても、それほど打ち解けた仲になっていない大介と葉菜子ですから、お互いの距離感はほとんど変わっていない訳です。

この葉菜子の離婚の理由を打ち明ける行為、しかも「不妊症」という内密な事情を話す行為は、心理学的に言えば、距離感を縮めたいという無意識から出た行動と取れるでしょう。つまり、葉菜子のどこかに、「この人」とは、もっと距離感を縮めたいという欲求があったわけです。

事実、混乱していた大介は必至になって、その理由を知ろうと努力するではありませんか。そして、視聴者の方も大介と葉菜子に、少なからずケミストリーが生じたことを感じ取ったのではないでしょうか。

第6話の感想2 佐々木彰一に危惧される日本の未来

そうであって欲しくはないのですが、もし、この佐々木彰一のような人物が数多くいるのだとしたら、日本の社会は相当、変になってきていると思います。

何故なら、人間社会は、幼稚園に始まり、小中高、と学校教育を通して、社会生活を学ぶ訳です。学校とは、何も、受験勉強するだけに存在するものではありません。

が、しかし、現実に日本の学校が「受験戦争」という表現で言い表されるようになって久しいのも事実です。すると、もしかしたら、大人たちが知らないところで、佐々木彰一のような、付き合い方も知らない「子供大人」を育ててしまっているのかも知れません。

管理人(還暦)の世代から見ると、この佐々木彰一のような人物は、極端に少ないはずですし、所謂世間連れしていない人物と映ります。

ですから、素直な感想として、もし、多くの視聴者が、このような人物が「いる、いる」「多い、多い」ということになっていたら、すでに社会がおかしな事になっているのだと感じざるを得ませんね。

第6話の感想3 何故か登場人物が人迷惑なことばかりするドラマ

このドラマほど、相手の気持ちと人格を無視するドラマは見たことがありません。もし、そこで「笑い」を取ろうとしているのでしたが、「相当寒いコメディ」でしょうね。

嫌がらせをして楽しみ、という悪趣味にしか思えません。

勝手に息子のマンションに押しかけてくるところから、許せない管理人ですが、ノーリスペクト、相手の人格や気持ちをまったく無視するドラマです。

同じように、前述した佐々木彰一の行動も、ほぼ全てがノーリスペクト熊谷葉菜子の部下の田中莉恵が大介に好意を持つのは問題ありませんが、あの押しつけがましい、お節介のような付き合い方を見ていると、ちょうど佐々木彰一を「女」にした格好となります。

この流れを考えていて、管理人はある事に気付きました。

私の親の方の家族構成は6人家族で、B型3人、AB型3人なのです。

血液型を学習した方はご存知でしょうが、データによると日本人の血液型の構成は次のようなものとなります。

A型  40%
O型  30%
B型  20%
AB型 10%

つまり、我が家の構成は、少数派のB型とAB型で占められているのです。

B型は気分屋さんで自由型。独りで居るのが楽なタイプで、相性が合う人同士で付き合うのが好きです。A型さんは、周囲に気を配り、規則や行動規範を守り、ルールや仕来りを重んじます。通常、A型とB型は対極に位置付けられます。

そして、O型と言えば、大家族型で、仲間意識が強く、倫理観より感情が強く出ます。そこへいくとAB型は感情的よりもクールで、倫理観を重要視します。正反対のA型とB型が同居した結果だと能美先生は指摘しています。

こうしてみると、どうもこのドラマは、管理人のようなAB型の人間には不向きに思えてきたのです。お節介を「愛情」とか感じられる人もいるでしょうが、AB型の人間からすると、「人迷惑」でしかありません。

AB型の人間が感じる愛情とは、相手の事を考え、気持ちを汲むことが倫理観に合っていますから、お節介を愛情と捉えることには無理があります。

そう考えてみると、家族ノカタチの随所に見られる人迷惑な行動が、「お節介」オーケーな人種の世界の話に思えてきました。
まあ、とは言え、永里陽三と佐々木彰一の出番が少なくなって、大介と葉奈子、そして葉菜子の元亭主高瀬和哉の話が中心となってくれば、もっとドラマとして面白くなってくると期待しています。
P.S.それにしても、山下絵里の「Unpredictable Story」の音楽は、このドラマには本当にもったいないほど最高なミュージックです。実を言うと、この音楽を聴くためにドラマを観ているのでーす。(笑)
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

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