家族ノカタチ 脚本に西田敏行の存在感と永里陽三の違和感のギャップ

家族ノカタチ

家族ノカタチが始まりました。初回の視聴率は9.3%と発表になり、初回としては、まずまずの視聴率になったのではないでしょうか。家族ノカタチは原作が無く、後藤法子が脚本を担当していますが、随所に違和感を思えたのは管理人だけでしょうか?西田敏行の存在感ある演技と、演じるキャストの永里陽三のギャップは脚本にあるように思います。

 

違和感を覚える脚本「家族ノカタチ」

39歳の独身でいたい息子の永里大介(香取慎吾)が、長年の夢であった「自分の城」マンションを手に入れ、入居するところから、ドラマは始まります。自分が入居する4階のすぐ上の5階にすでに入居していた熊谷葉菜子が、洗たくしたガードルを落としてしまい、そのガードルを届けることで、上階の熊谷葉菜子永里大介の接点が生まれる訳です。

 

管理人の違和感は、すでにこのガードルにありました。もし、視聴者の注意を引きたくて落ちてくる洗濯物を演出するなら、ガードルではなく、ショーツとかブラの方が効果的だと思うのです。

ショーツとかブラであるならば、届けてくれた大介の手から洗濯物をかっさらって、ろくな礼も言わないというのが、もっとはっきり解るのです。「女性の下着を持って来られた恥ずかし気持ち」か、或は「人の下着に手をしてニヤニヤした助平野郎」とか、そんな女性の心理を効果的に現すことができると思うのです。なんか、中途半端なのです。

その数日後、大介の父親が逃げられた後妻を探しに田舎から出てきて、大介のマンションで煙を出し、大騒ぎとなる訳ですが、外へ出てきた陽三と大介の会話をすぐ隣で熊谷葉菜子が聞いていて、会話に入るのも不自然で仕方がありません。

親子とは言え、結婚はしていなくても、すでに成人でしかも39歳になる、家主の所に勝手に転がり込むという筋書きにも違和感を覚えてしまいました。

これが、シチュエーションコメディなら理解できるのです。アメリカのコメディなら、理屈抜きでハチャメチャなセッティングのドラマは幾らでもあります。しかし、どうもそれほどのコメディでも無いような進行なのです。

幾ら田舎育ちとは言え、都会のマンションの中で、友達を呼んで、あのような大音声のカラオケなんてやるものなのでしょうか?あのカラオケシーンでも、引いてしまった管理人です。

新しく買ったビールグラスを義弟の浩太が割ってしまった場面の陽三の会話も、納得がいきませんでした。確かに13歳の義弟がした過ちなので、あれほど叱らなくても良いだろうとか、そのような気持ちが理解できない訳ではありません。

しかし、大介の方からすれば、せっかく好んで手にした新しいビールグラスを割られてしまったのです。大介の方の気持ちはよく理解できます。素直に理解できます。元々、そこに居ないはずの父と義弟が入り込み、その上、粗相をしでかしたのですから、怒っても無理はありません。

そこでの、陽三の会話にも違和感を覚えました。「お前が小さい頃、母さんが大事にしていた植木だか鉢入れだかを壊した時、母さんは叱らなかったぞ」と説教をするのですが、そこで引き合いに出す話ではないと思いました。

 

西田敏行と永里陽三のギャップが大きく見える

脚本がドラマの鍵を握ると言われます。香取慎吾上野樹里、風吹ジュン、そして西田敏行がメインキャストになるドラマですが、その中で、流石にベテランの西田敏行は圧倒的存在感を見せていました。

ですが、その上手さ故に、ドラマの設定とギャップを大きくして、これまた管理人には不自然でなりませんでした。

前述した通り、西田敏行がマンションでカラオケに興じるシーンでも、流石はベテランという西田の演技ですが、やはり脚本に西田敏行の存在感と永里陽三の違和感のギャップを感じてしまう管理人でした。

幾ら、田舎者とは言え、隣近所が近いマンションで、友達を集めて宴会騒ぎをする非常識さが理解できないのです。コメディとしたいのか、脚本の意図が読めないのです。西田の演技が上手いだけに、ギャップを感じました。

それから、もう一つ宜しいでしょうか。実は私はこの親子の名前にも違和感を感じているのです。どちらかというと、大介という名前が父親で陽三という名前が息子の名前のように感じてしまっているのです。

もし、父親の出番が少ないのでしたら、それほどまでは感じなののでしょうが、共演と一緒の場面が多いとどうしても違和感を感じてしまいます。脚本の範疇に入るネーミングも、もう少し違った方が良かったなあ。
まだ、始まったばかりの「家族ノカタチ」ですから、今後はもう少し、はっきりした脚本で、シリアスなのか、コメディなのか、分かり易い展開を期待したいです。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました