天正10年6月2日と言えば、信長ファンには「信長の命日」とすぐにお分かりでしょう。「本能寺の変」があったとさせる日です。しかし、この信長の暗殺については諸説があり、真相は未だに分かっていないのです。「信長燃ゆ」は原作者の安部龍太郎が描く第四の説「朝廷陰謀説」を基に朝廷方の近衛前久の動きを中心に唱える説で、「信じるか信じないかはあなた次第」の物語です。「信長燃ゆ」のメインキャストあらすじや背景を探ってみたいと思います。

信長燃ゆ
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一番最初に抑えておきたいポイントの一つは、織田信長に対する評価でしょう。現代生きている私たちは、教科書や歴史書、或はテレビなどメディアを通して、「織田信長は改革者で日本統一を目指し、平和で繁栄のある国造りを試みた」という捉え方で歴史を習ってきています。

しかしながら、その織田信長の偶像は明治以降作られたと言います。江戸時代、つまり徳川の時代までは、むしろ「反逆者で破壊者」の面が強調されていたようです。つまり、朝廷へ盾を突いたと評価されているのです。明治以降になり、信長の評価は「明治維新」と相まって、再評価を受けて現在に至っているという状況です。

 

「信長燃ゆ」のメインキャスト

時代劇と言えば、通常この二倍も三倍ものキャストが登場します。しかし、今回のドラマは3時間とダイジェストとも言える縮小版となったために、それほど多くのキャストは出ておりません。

しかしながら、織田信長のキャスト、東山紀之は最近の若手俳優の中では抜群に時代劇が似合う俳優ですから、それだけでも見応えがあるのではないでしょうか。それから、注目したいのは「赤めだか」で立川談々を演じた北村有起哉です。現代劇から時代劇に変わり、「羽柴秀吉」という大役のキャストをどのように演じるのか興味深いです。

東山紀之
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若手で期待されるのが、森蘭丸のキャストとなる中島裕翔にも注目が集まります。そして、加えて若草の君を演じる白鳥羽純が可愛い姫さまをどんな演技で見せるのか楽しみです。

 

織田軍

織田信長:東山紀之
織田信忠:早乙女太一
明智光秀:石丸幹二
羽柴秀吉:北村有起哉
お市:高岡早紀
森蘭丸:中島裕翔
森坊丸:神山智洋

朝廷方

近衛前久:寺尾聡
近衛信基:佐藤隆太
勧修寺晴子:栗山千明
勧修寺晴豊:渡部豪太
上臈の局:萬田久子
誠仁親王:太川陽介
若草の君:白鳥羽純
吉田:兼数:笹野高史

 

安部龍太郎原作:ドラマ「信長燃ゆ」のあらすじ

簡単なあらすじですが、信長の濃厚な年表の中で、特に「本能寺の変」に直接関わる一年半を描いたドラマになるようです。番組HPからあらすじを抜粋してみました。

「天下布武」を掲げる織田信長は、既成概念を壊し、スペインやポルトガルに並ぶ世界の大国を築きたいと野望を抱いていた。そんな信長の良き理解者として、若いころから親交のあったのが、朝廷側の要人、関白・近衛前久である。
しかし、全国統一を成し遂げようとする信長は、朝廷を越え、日本の王となろうとする。そんな信長に、前久は危機感を募らせ、次第に対立していくようになる。また誠仁親王夫人・勧修寺晴子は朝廷を守るため 信長に接近するが、内裏での不自由な生活と外の世界の広く自由な空気に心を打たれ、さらに信長の人柄に次第に惹かれていく。そして信長も…。
なぜ、信長は二百にも満たない家来を引き連れ本能寺に向かい、そして家臣の明智光秀に討たれてしまったのか?あまりにも有名な「本能寺の変」の真相が全く新しい視点で描かれる。

引用元:テレビ東京 公式ホームページより
http://www.tv-tokyo.co.jp/nobunaga.moyu/

 

織田信長「本能寺の変」の真相とは?四つの仮説

中国地方で毛利攻めに苦慮していた羽柴秀吉は織田信長に援軍を要請し、その援軍の指示を受けたのが明智光秀であった。光秀は亀山城を出立したが、中国路と京都の岐路にあたる老の坂で、秀吉の待つ中国地方へ向かわずに「敵は本能寺にあり」と兵を京都へ向かわせるのでした。

僅か百数十という護衛しか従えていなかった信長はこの本能寺で自刃したことになっています。

中島裕翔
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さて、ここまでは史実として何の問題も無いようです。確かに信長の首が見つからなかったことから(これは信長の命令)光秀は事件後、相当恐れたようです。何故なら、当時は、敵に勝った証拠をして首を晒す習いがあったので、それが無いと周囲を納得させることができないからでした。

信長の首の件はそれとして、ここから先は歴史ファンならずとも、「日本最大のミステリー」と言われるテーマです。そのテーマとは、明智光秀が起こしたこの謀反の原因究明です。

実はこの明智光秀による「本能寺の変」の理由ははっきり分かってはおらず、だいたい四つの説が問われています。今からその四説を検証してみましょう

 

1. 明智光秀の「恨み」による単独犯説

ほとんどの方は教科書で「明智光秀の怨恨による単独犯」と学校で習っていると思います。しかしながら、実はこの説はそれまで分かっていた織田信長による光秀に対する暴挙と光秀が詠んだ一句にあります。

信長の光秀に対する暴挙とは解っているものでも三つの大きな侮辱と屈辱を表します。

a) 信長の足蹴り

織田家による武田家滅亡を祝い祝辞を述べる光秀に対し、信長が「お前はどんな貢献をしたんじゃい」と文句を言い、祝辞を述べた光秀を足蹴りしたとされる一件。

b) 母の逝去

丹波攻めの時、降参する敵城主と結ぶ和睦のために「人質」として自分の母を差し出し、戦わずして開城させたものの、光秀が結んだ和睦を無視して相手方の城主を殺してしまい、結果として人質に差し出していた母を殺された件。

c) 領地没収

本能寺の変直前に、信長は光秀の領地替えを命じて、それまでの近江と丹波を取り上げ、まだ自陣の領地となっていない裏日本の出雲と岩見に鞍替えしろと命じられる一件。

このような歴史資料から、これまで明智光秀の単独怨恨説が、ずっと主流でした。

2. 羽柴秀吉の陰謀説

上記の事情をある程度秀吉が知っていたと仮定した上で、秀吉が光秀の動きを推測でき、それを助けるような行動をしたとする説です。つまり、光秀の裏に隠れて秀吉が暗躍したとるす説です。

a) 理由が無い援軍要請

中国地方で高松城を攻めていた秀吉が信長に託した援軍要請の理由が無いことが、最大の理由となっています。当時、すでに高松城は秀吉の水攻めにあい、孤立した状態にあり、敢えて信長の援軍を要請する必要が無かったと見られることから、信長を京都の本能寺におびき出すための援軍要請だったとするのが根拠となっています。

b) 中国大返しが何故いとも簡単に行われたのか?

毛利輝元はすでに和睦の協議に対応していて、秀吉は事実上勝敗を付けていたことが、援軍の必要性が全く無かった根拠とされており、本能寺を変を聞いた秀吉が、和睦を結び取って返して僅か5日で200kmを走破し、京都に戻れた事実。

c) 用意周東に準備ができていたのは何故か?

多くの兵隊を急いで移動させるのに不都合な重い武器等は全部船で大阪まで運んでおり、途中の姫路城では食料も準備させていたなど、あまりにも手際のよい手筈を整えていたこと。

3. 濃姫と光秀の結託説

濃姫と言えば織田信長の正室であります。しかし、信長は濃姫との間に子供をもうけてはおらず、夫婦仲が極めて悪かったとする濃姫の憎悪説。しかも、その濃姫と明智光秀は出自が同じで、お祖父さんが明智三継という人物で濃姫の母と光秀の父が兄弟なので、従妹同士にあたります。

その上、明智光秀という武将は当時、極めて珍しい側室を持たずに、顔にできものがある夫人を一人愛した人物ともされています。信長に愛されなかった濃姫の心境を理解できる立場にあったとする説。

高岡早紀
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4. この「信長燃ゆ」にも登場する朝廷による陰謀説

信長の極めて非礼なる朝廷に対する態度に我慢がならなかった朝廷の陰謀で光秀が利用されたとする説。近年の研究で資料が新たに発見される中、この朝廷説が最も人気があり、この小説にも登場します。

静岡にある西山本門寺という寺で、信長の家臣の子孫が書いたという日順上人の日順過去帳という日記のような物に記述があり、そこに「被誅」という文字が書かれていたのです。「被誅」という言葉は身分の上の者が下の者にする行為を指す言葉だそうで、その意味から判断すると信長以上の上位の者は天皇、所謂朝廷しか居なかったとする説です。

 

「本能寺の変」の前に抑えておきたいポイント

1.幕府の無力化

足利幕府の15代の将軍の後半の大半は京都に留まる力を持たずに地方の豪族の助けを求め、うろうろしていた事実があります。すでに、群雄割拠の時代に突入していたのです。

2.地方区から全国区への野望

上洛要請のあった信長は一度は上洛を断念しています。周囲を敵に囲まれており、決意した上洛でしたが、南近江の六角氏が朝廷側に寝返ったからです。地方大名の織田信長に届いた上洛要請は信長にとっては、地方の小さな大名だった信長が全国区へ躍り出るチャンスだったのです。

3.専属専門の戦闘集団の開発

兵農分離を進めたのは、信長が最初だと言われています。それまでの兵士は農民が武装して地元の武将と一緒に戦っていたので、常駐はできませんでした。しかし、兵農分離を進めることによって、常時戦える兵士の集団をつくることができました。つまり、兵士のサラリーマン化です。そのためには経済力が無ければできません。

4.名実の頂点を目指す意思

信長は朝廷からの勅使を追い返したことで、天皇の命に従わない態度を鮮明にしました。宮廷は勅使を使わせ、信長の実力を認め、「関白」「太政大臣」「征夷大将軍」の役職を好きに選ばせるという最も厚遇する扱いを見せた上、その処遇を断られたのです。自分たちが一番上の階級に属しているという思い上がりの宮廷官僚たちは、信長の態度に激怒したのは想像に難くありません。

私は信長の心境を思う時、「天皇になろう」としたのではなく、「天皇の上に君臨する」ことを目指したのだと思います。その一番の根拠は、安土城にあります。実際に安土城まで行ったことがありますが、残念ながら焼け落ちてしまい残ってはいませんが、研究の成果で、天皇を招く(行幸)のための清涼殿が建てられていたようです。

信長自身は「天主」を居所としている訳ですから、清涼殿は見下ろす形となります。屈折しない真直ぐ伸びる大手門などが戦国時代では考えられない築城であり、しかもその城の中で天皇行幸のための建物を建てたしまった信長の胸中を考える時、答えは一つ、名実ともに日本のトップになることだと分かります。

これまでのテレビ東京の新春時代劇は長時間の放映でしたが、今回は3時間の凝縮版です。「信長燃ゆ」は明智光秀の謀反の一年半から、「本能寺の変」までを描いたあらすじとなります。豪華キャストによる、朝廷の陰謀説の一つとしてしっかり見ておきたいドラマとなるでしょう。

放送はテレビ東京系で、1月2日(土)の夜9時からです。お楽しみに。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。良いお年をお迎えください。